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弐ノ章

詐欺師、泥棒、殺し屋の過去

其ノ13

 深夜、雨の音で目が覚めた。
 ふたたびうとうとしはじめて、起きたのは結局夜明け前だ。カーテンを開けると、白みはじめた空を背景に、輪郭の薄い雲が浮かんでいた。雨はやんだらしい。ってか、雨まで降るのか……。ホントに謎だよ。
 ベッドの上で下着系着物姿のまま、腹筋をはじめる。それにしても、走りたいなあ。
「そうだ。どーせ夜なんかすることないんだから、早く寝るわけじゃん? てことは、超早起きしてジャージとTシャツで、誰にも見られないようにして、この辺走ればいいんじゃないかな」
 いい考えだ。でも、靴はない。しょーがない、この際足袋でいいか。ようし、明後日あたりから、本格的なトレーニングを再開しよう。てことで、それはそれとして。
「……夫婦、ですか……」
 声にしたら、めまいに襲われてきた。だけど、そんなすごいことでもないんじゃないか、とも思う。ようするに、それっぽく装っていればいいだけなんだし?
 そもそもここに居候して、炊事洗濯家事全般をやるわけだから、すでに妻的立場なのでは……と、思えなくもない。だから、てんぱる必要はナシだ。
「だよね。まあ、アレだ。考えてみたら、住み込みのお手伝いさんみたくなってんだから、ニシザキとかいう男子があらわれたら、ちょろっと妻っぽくしとけばいいってことだよ」
 なんだ、簡単じゃん。ああ、心が落ち着いた。
「それにしても、ニシザキってなんなんだろ。雨市氏じゃないけど、なんかもうめっちゃ面倒くさい」
 まだまだ謎だらけなここなのに、細かいことをハシさんに訊いてたら、いつまでたっても全体像が把握できない。そのうちにニシザキ本人が現れるだろうし、そうしたら何者なのかはっきりするはずだ。
 とりあえずは、落ち着いた。起き上がって着付けをはじめる。セツさんに教えてもらったとおりになんとか着られたものの、終わったころにはすでに窓から朝日が射し込んでいた。慌てて部屋を出ようとしたけれど、ふいに自分の身なりが気になる。ドア横の壁にかかった鏡をのぞいたら、髪が寝癖でぼさぼさだ。櫛っぽいなにかを探したけど、雨市の寝室にそんなものがあるはずもなく、指ですく。すいてから、髪飾りを挿して、鏡に見入る。
 ……大丈夫かなこれ。ヘンじゃないよなこれ。もちょっと上? いや、下か? どの位置だったっけ。反対だったっけ? これかわいいのかな。かわいい感じなのか? かわいいって思ってくれるかなあ……。
「……て、おい!」
 待て、出席番号二十八番の山内。いまのはなんだ? 思ってくれるって誰がですか!? 誰に向けての問いかけですかー!
 即座に髪飾りを取り、
「違うだろ!」
 ベッドの上に放った。まったく、油断もすきもないとはこのことだ。
 男子に褒められ慣れていないものだから、ちょこっと雨市に「いいじゃねえか」とかいわれて、本気にしてかわいこぶろうとしている自分にまるきり慣れない。
 だけど髪飾りに罪はないので、自分の荒ぶった行為に反省し、枕元にそっと添えなおした。
 そもそも、奴は詐欺師だったのだ。すらっとなんでも口から出る男子なんだから、本気にしないのが一番いい。それにしても、おかしい。竹蔵にだって「いいねえ」なんて言われたのに、なんで雨市に言われたことだけこんなに気にしてるんだろ。
「えっ……えええ……」
 ぶるっと震える。深く考えないようにしよう。雨市の言動を気にする感情に、どうせたいした意味はない。ないんだ……ない、はずだ!
「……か、鏡見てかわいいかなとか考えてる、こんな自分は自分じゃない……。こんなわたしをわたしは知らないぞ」
 恐ろしい。しっかりしなければ。
 階段を下りて居間のドアを開けると、誰もいない。しかも、自問自答と着付けでかなりの時間がかかってしまったので、またもやテーブルの上には、すでに朝ご飯が用意されていた。あんなに早く起きたのに、ハシさんの早業に間に合わなかった。
 がっくりしながら、台所へ行く。土間から裏庭へ出ると、ハシさんが鼻歌混じりで洗濯物を干していた。
「ああ、ああああ、ハシさん!」
 早い、なにもかも早すぎる。この素早さ、まるで忍者のようだ。
「おや。おはようございます、椿さん」
「おはようです。てか、ハシさんごめん~。すんごい早く起きたんだけど、いろいろ手間取って、こんな時間になっちゃったんだ」
 よいのですよと言うハシさんの笑顔は爽やかだ。ご飯を食べたかと訊かれたので、まだだと答えると、食べてから一緒に掃除をしましょうと言ってくれた。急いで居間に戻りご飯を食べていると、ハシさんがお茶を持ってきてくれた。
「雨市さんは、夕方まで戻られませんから、あとで少々、お散歩などいたしましょう」
「うん……え? 出かけてんだ、雨市氏。役所ですか?」
 ほほほ、とハシさんが笑う。
「さあ、わたくしも存じません」
 竹蔵はいないのが当たり前のようだからいいとしても、雨市はいったいどこに行ったんだろ。いや、いやいや、どこだっていいじゃん。そこ、気にするポイントじゃないから。
 わたしには関係のないことだから! なんて思ってみたところで、頭ではわかってるのに、どうしたことか。
「なんか……お腹、いっぱいです……」
 昨日はあんな勢いで平らげたのに、おひつのご飯を残してしまった。
 気にしたくないのに、なぜかやたらと雨市の行き先が気になる。もしかして山ほどいるという、女子の誰かに会いに行っているんじゃないかとか、いやセツさんに会いに行ってるんだろうだとか、ぐるぐる考えながら、お茶を飲んだ。
 台所で茶碗を洗ってから、ぼうっとしつつ廊下をぞうきんで拭く。ダメだ、わたしはおかしくなってる。間違いなく、おかしくなってる! ほかのことに神経を集中させよう。
 そう、例えば!
「この部屋って、なんですか?」
 玄関からすぐの左横のドアは、いつも鍵がかかっていた。階段を拭いているハシさんに訊ねると、竹蔵の部屋だと判明した。二階には二部屋しかなく、雨市の部屋の隣をハシさんが使っているらしい。
「もともとこの家には、とある老夫婦が住んでいらしたそうです。雨市さんは下宿しておりまして、老夫婦に気に入られたそうで、彼らが亡くなったあと、いただいたのだと聞きました」
「え? じゃあ、その老夫婦さんたちは、なんでいないの?」
 死んだ……ということは、ここにいていいはずだ。バケツでぞうきんを絞りながら、ハシさんが答える。
「閻魔の筆が盗まれる前のことだと思われますから、すでに裁判を終えて、いまごろは極楽かもしれませんなあ」
 ああ、なるほど。
「それにしても、その筆、どこいっちゃったんだろうね。ていうか、なんで娑婆? にあったんだろ。それに、ニセモノがいっぱいあるのだっておかしいし」
 腰を上げたハシさんは、ふふふと意味深な笑みを浮かべる。
「それをわたくし、調査中でございます」
「え?」
「椿さんの帰り方も調査中ですから、しばしお待ちを。いかんせん、かなり入り組んでおりましてなあ。さまざまな書物のある場所は判明しておるのですが、それらを探しても、どれもが経やら魔術を可能とする梵字の書物ばかりでして」
 ……ん?
「それって、図書館みたいなとこ?」 
 わたしの疑問に、ハシさんはにやっとした。
「……ほほほ。いいえ、役所でございます。わたくし夜な夜な、お邪魔させていただいておりまして」
 しゃべりながら、階段の手すりを拭きはじめる。
「わたくしには、開けられない金庫も鍵もないのでございます。一般の方の財布をスルのは、よろしいことではございませんから、自重しておりますし、もちろん役所からなにかを盗んでいるわけでもございません。ただ侵入し、情報を得ているだけでございますから、これはわたくしの唯一の暇つぶし、というわけです」
 それでわかった。あのトンネルみたいなところで、雨市が壁になにか書いて、この家につながる通路をつくることができたのは、ハシさんが役所で、そういうことのできる魔術の情報を得ていたからなのだ。
「だ、だけど、捕まらないの、それ?」
「捕まらないでしょうなあ。わたくしを捕まえることは、できますまい。そもそも、あちらで牢に入れられたのは、盗みでではなく」
 ぽっと、頬を赤らめる。
「……食い逃げ、でございまして」
 残念な理由で、捕まっていたのだった。

 

♨ ♨ ♨

 

 路面電車が走り、家があり、朝日が昇って、月が浮かぶ。
 奇妙な世界のお金はやっぱり、奇妙にも、竹蔵の言ったとおり、生きていたころに持っていた財産がそのまま手元に残っていて、使えるようになっているのだと、散歩をしながらハシさんが教えてくれた。
 大きな通りには出ず、住宅街のような辺りを、ぶらぶらするのは気持ちがよかった。
 おじいさんもいれば、遊んでいる子どもたちもいる。洋装の女性が出かけて行く。着物姿の男性が、一軒の家の中に入って行く。みんな、死んでいる。でも、ここではしっかり、生きていた。
「ハシさん。セツさんて、悪い人じゃないよね?」
「もちろんでございます」
「でも、その……この地獄の入り口にいるのは、どうしてなのかな、と」
「善人も悪人も、死んだらまずは平等に、閻魔大王の裁判を受けるのでございます。そののち、極楽へ向かう者は、極楽からお迎えが来るという段取りになっておりまして。……ただ、まあ、そうはなれない善人の方々も、おりましてね。セツさんは、そういう方のひとりです」
 ハシさんは言いにくそうに、言葉を濁した。突っ込んで訊ねたかったけれど、なにかわけありのような気がして、やめておいた。知りたいことは、ほかにもまだまだあるのだ。
「じゃあ、わたしの時代の人たちもなのかな。わたしはここにいる人たちよりも、ずっと先の時代の人間で、いまはここにまぎれちゃってるだけだけどさ。閻魔の裁判が止ってるってことは、わたしの時代の人たちも、ここにいるってことだよね?」
「そうではないようです。ここは、この時代に生きた者たちの待合所。椿さんの時代の方々も、それぞれの執着と記憶に見合った、場所におられるはずでございます。ただ、そういった場所にも役所はございますが、筆を探しておられるのは、どうやらこの時代あたりの人間に限られているようでして。なぜなのかは、わたくしにもわかりません」
「ふうん」
 ……そうか、そういうふうに、時代ごとに場所が分かれてるんだ。じゃあ、そこには母さんもいるんだろうか。
「そこ、行けるの?」
 ハシさんは考え込んだ。
「はて、どうでしょうなあ。調べてみましょうか?」
 わたしは笑顔で、首を横に振った。会いたいけれど、もしも会ってしまったら、自分の世界に戻れなくなるような気がしたからだ。ただでさえここに馴染んできていて、さらに母さんに会って、言葉を交わしてしまったりなんかしたら、戻らなくてもいいと思ってしまいそうで、それが怖い。
 わたしの生きる世界はここじゃない。それは忘れてはいけないのだ。
「椿さんの住んでらっしゃった世界には、電車は走っておられるのですか?」
 ハシさんに訊かれたので、わたしはいろんなことを話した。テレビにスマホ、インターネット。宇宙に行った人もいると話すと、ハシさんは目を見開いて感激する。
「いやあ、そのような時代が来るのですか。見てみたいものですなあ」
 ここより未来の世界についておしゃべりをしてから、家に戻る。お昼ご飯を食べる習慣がないというので、せんべいを食べながらお茶を飲み、部屋で昼寝をして起きると、すっかり日が陰っていた。
 階下に下りて、居間のドアを開ける。やっぱり誰もいない。台所と裏庭を見てみると、ハシさんまでいない。竹蔵はもちろん、帰って来ない。
「……することないよなあ」
 この時代の女子って、なにをして過ごしてたんだろ。とりあえず洗濯物を取り込んで、土間と台所の段差に腰を下ろし、それらをたたむ。そうしていたとき、玄関の戸が開く音がした。
 きっとハシさんだ。たぶん、夕ご飯の材料を買いに行ったのかもしれない。そう思いつつ、床の上で四つん這いになりながら、ぬっと廊下に顔を出す。
 違った。スーツ姿の雨市だった。 
 帽子をかぶり、濃い色合いのグレーのスーツで、玄関で革靴を脱ぐ。着物姿しか知らないから、一瞬雨市だと気づけなかった。あんぐりと口を開けて見つめていると、雨市は帽子のつば越しにこちらを見た。
「おう。なにしてた?」
 帽子を脱いで、玄関の壁にかける。上着のポケットをまさぐって、煙草を出すとくわえた。上着を脱いで腕に抱え、シャツにネクタイ、ベストの恰好になると、廊下を歩い近づいて来た。ぽかんとしているわたしを見下ろすと、目を細めて苦笑する。
「返事はナシか、どうした? 口、どっかに落っことしたか?」
「せ、洗濯物、たたんでた」
 心臓が、破裂しそうなほどバクバクいってる! どうしよう、なにこの現象!?
「そうか」
 そう言った雨市は、ズボンのポケットをまさぐりながら、四つん這いのわたしの目の前にしゃがんだ。
「ほれ」
 差し出されたのは、かわいらしい花柄の小さな巾着だ。
「な、なにさ?」
 なんとかその場に正座して、受け取る。雨市はしゃがんだままマッチをすって、煙草に火をつけた。巾着を開けると、中には丁寧な花の彫り物のされた、櫛が入っていた。
 ものすごくきれいだ。
「櫛、持ってねえだろ」
 すごい。なんで必要なものがわかるんだろ。いや、理由はわかってる。それはそれだけ、女子を見て知っているからだ。
「ど、どーも」
 素っ気なく言ってしまった。どうせ似たようなものを、ほかの女子にもあげてるんだろう……なんて考えている自分を、いますぐ右ストレートでノックアウトさせたい。
 くそう、くそう! こんなのくだらなすぎるから、マジで! だってさ、竹蔵のプライベートは気にならないんだから、こいつのプライベートも気にする必要はないはずなんだよ。なのに気になってる、ものすっごく気にしてる自分が、最高にいやだ!
 もらった櫛を帯に突っ込んだ。よし、洗濯物をたたむ続きをするぞ。正座したままくるんと回転し、乾いた手ぬぐいをつかもうとしたら、ぐいと帯が引っ張られた。
「うわっ!」
「曲がってんな。なおしてやる」
 ぐいぐいと、帯が背中で動く。やがて、ポンと帯がたたかれた。
「これでよし」
 わたしは正座したまま、動けなくなる。やっとの思いで振り返ると、雨市はもういなかった。すると、ステンドグラスの居間のドアから、パッと明かりがもれた。
 誰かになにかをもらった思い出といえば、去年の誕生日、父さんに『正しい写経入門』という本をもらったことくらいしかない。
 なのに、こんな。こんなにかわいらしい、女子っぽいものをもらうなんて。
 ああーっ、悔しい! 認めたくないけど!
「……めちゃくちゃ嬉しい……」
 がっくりとうなだれる。帯から巾着を出して、櫛を手に取ってみる。手のひらにのった櫛の素材は、べっこう? とか言うやつだと思う。本当にきれいだ。ちょっと使ってみようかと思って、のろのろと自分の髪にあてようとした矢先。
「おい」
 いきなりの雨市の声に、飛び上がった。さっと櫛を帯に突っ込んで振り向くと、雨市がドアから顔を出していた。
「昨日のことだけど、すまねえな。あと、アレだ。夫婦とかあんま深く考えんなよ。たいしたことじゃねえからな」
「ああ、まあ。わかってるよ」
 ぼそっといえば、雨市がにやりとした。
「嫁にはいかねえんだもんな。せいぜい俺の女房のふりだけして、あとはがんばってひとりで生きろ」
 ほらね! またムカつくようなことを言うし。
「わーかってるってば! ニシザキとかいう男子が来たときだけ、妻っぽくすればいいんでしょ」
 自分で自分に念を押す。押すと、ぎりりと神経痛が痛む。
「まあ、でもよ」
 雨市が台所に入って来た。煙草の煙を吐きながら、
「朝っぱらからあちこち行って、女どもと手、切ってきたからな」
 え。
「だ、だけど、き、昨日は、ほっときゃいいて」
 なぜつっかえる? なんでこんなにつっかえてんのさ!?
「女の口は怖いからな。どこから西崎の耳に入るか、わかったもんじゃねえ。べつにいいんだよ、これで」
 わたしを見下ろすと、顔をくしゃりとさせて笑った。
「おまえが戻れるまで、面倒見てやるから気にすんな。念のために言っとくけど、おまえに気があるわけじゃねえからな。まあ、おまえもそうだろうが」
 ザクッときた。なぜだかズドンと太い針が、心臓に刺さったみたいな感覚になる。
「……はあ。まあ、そーっすね」
 視線をそらそうとした瞬間、雨市は背中を向けながら言った。
「銭湯連れてってやるから、待ってろ」
 わたしは正座したまま、うつむいた。うつむきながら、口をむうっととがらせて、子どもみたいにむくれてしまう。
 なんでこんなにむくれてるのか、知りたくないし考えたくない。
 考えたくない、考えたくない……!

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