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弐ノ章

詐欺師、泥棒、殺し屋の過去

其ノ12

 みんなが住んでいる家は、雨市のものだと判明した。そこに三人で住んでいると、竹蔵に教えられる。だけど竹蔵自身はほとんど帰っていないらしい。その理由は、訊かなくてもわかる。リリィさんのいたエリアに出没しているからだ。
「けど、べつにアタシだけじゃない。雨市だってあっちこっちに、出入りするとこがあんだよ。アタシの知らないとこで、テキトーに遊んでんのさ」
 セツさんが彼女ではないとわかったいま、無数に遊び相手がいるらしい雨市に、寿司をお土産にしたのは間違いだった気がしてきた。
 ……うーん。なーんか、もやっとするなあ。
 竹蔵が扉を開ける。誰もいないのか廊下は真っ暗だ。玄関に入ったとたん、台所の引き戸が開いて、ランプを持ったハシさんがにゅうっと顔を出し、手招きする。とたんに竹蔵はため息をついた。
「……またかい」
 なにが? ハシさんは口に指をあて、台所に招く。竹蔵と入ると、すぐさま引き戸を閉めたハシさんは、わたしを見て「おや」と微笑んだ。
「ほう! よいですなあ、椿さん。とってもお似合いでございます。もだんがーる、ですなあ」
 そうか、やっぱリリィさんの「モダン」方向は、間違ってないってことなんだな。おっぱい丸見えだったけど、センスはいいみたいだ。マダム・リリィ、奥深い大人女子だ。
「いるんだろ?」
 竹蔵の問いに、ハシさんは表情をいっきに暗くし、ふう、と額に手をあてた。
「いらっしゃいます」
「いるって、雨市氏?」
 いやー、敬称を〝氏〟にしてよかった。尊敬してるわけじゃないけど、マジでしっくりきてる。
 わたしが訊くと、ハシさんはうなずいた。すると、竹蔵は首をまわす。クキッと小さく、骨が鳴った。
「面倒くさい男だねえ。怒ってんだろ?」
「そのようでございます。しかし、わたくしは正しくお伝えいたしました。セツさんを椿さんが助け、竹蔵さんがどこぞへ連れて行った、と。雨市さんはセツさんを送って戻られてから、めっきり黙り込みまして、明かりもつけずに居間にこもっておいでです」
「なんで怒ってんの? あ、そっか。セツさんが危ない目にあったからだ」
「まあ、それもあるんだろうが。……ああ、面倒だ」
 竹蔵が、引き戸に手をかける。お寿司をハシさんに渡したら、月を見ながら裏庭で食べますと告げ、喜んで去ってしまった。しかし、雨市の怒っている理由が気になる。っていうか、なぜ怒る?
「アタシがあんたに、ちょっかいかけてると思ってんのさ。まあ、ちょっかいはかけてるけどね。……どうだい、楽しかっただろ?」
 べつに〝ちょっかいかけられた〟なんて思っていないし、素直に楽しかった。
 竹蔵はわたしをイジメてこない男子だし(ハシさんもだけど)、いろいろとびっくりもさせられたけど、思い返せばフツーに優しくしてもらった気がする。
 それに、お寿司まで食べさせてくれたのだ。まるで気さくな、親戚のおじさんみたいに(そこまでの年じゃないけど)。
「いやあもう、楽しかったですよ、本気で!」
 大きくうなずく。居間のドアを開けた竹蔵の背後から、背伸びして中をのぞけば誰もいない? いや、いた! 雨市は奥の机の前に座って、窓から射す月明りに顔を向けたまま、袖に両手を突っ込み煙草を吸っていた。
「ほれ、寿司だよ。あんたに食わせたいんだとさ、椿が」
 竹蔵が寿司をテーブルに置いた。そうしてからランプに手を伸ばそうとした矢先。
「点けるな」
 窓を向いたまま、雨市が言った。わたしを振り返った竹蔵の顔は、ほら見たことかといわんばかりにげんなりしていた。
 すうっと煙を吐いた雨市は、灰皿に吸い殻を落そうとして、つ、とこちらに顔を向けた。
「……ランプ点けろ」
 点けるのか、点けないのか、言動が迷いまくりだ。竹蔵はやれやれとつぶやき、ランプを灯す。雨市はわたしを見たまま、完璧にフリーズした。
「……おい、なんだそりゃ」
「わけがあんだよ」
 竹蔵が言うやいなや、雨市が椅子から立った。ずかずかと大股で歩いて来ると、わたしの前に立って、つま先から頭のてっぺんまで視線を動かす。
「……地味にしてろって、言ったはずだぜ?」
 そのとおり、言われたぜ?
「いや、わたしはなにがどうでも、どんな恰好でもいんだけど」
「大柳の西崎が、セッちゃんを助ける椿のこと見てたんだよ。ずうっと、ねちっこくさ」
 ああ? と雨市の顔がこわばる。
「興味持っちまったんだろ。男に殴りかかる娘なんて、面白すぎるからね。顔を覚えられちまったかどうかは、わからないけどさ、あんな丈の着物じゃあ、逆に目立っちまうよ。だったら最初っから、似合ってる恰好させときゃいいだろ。西崎の車が長いことくっついてたから、マダム・リリィの宿に行って、この恰好にしてもらったんだ。そのあとは車の気配はないよ。アタシがつばつけてる馴染みの娘だとでも思ってたら、いいんだけどね。……けど、どうだか」
 雨市はうつむいた。腕を組んで袖に手を入れ、ぐるりと背を向ける。無言の静けさが不気味すぎる。竹蔵を見ると目が合った。呆れ顔の竹蔵は口だけ動かして「怒ってんだよ」と苦笑した。
「いや、なにもそんな怒らなくて」
 も、言うつもりが、
「黙ってろ!」
 ……叫ばれてエンド、だ。
「……わかってねえな。まったく、なんにも、わかってねえ……!」
 誰に向けてのセリフなのか。いや、なんとなくだけど、わたしの気はする。であればそれは正しい。だって、ホントになんにもわかんないんだもの。
「ほんとに西崎か?」
 雨市が竹蔵を振り返った。そうだよ、と竹蔵が答えると、雨市はぐしゃりと自分の髪をつかんで、舌打ちした。
「なんつー……。面倒くせえなあ!」
「ここにいるってバレなきゃいいさ」
「ああ、そうだな。バレなきゃいいな。けどよ、バレたらどうすんだ、あいつはスッポンだぞ!?」
「ちょっと、待った! べつにわたしに興味持ったとか、そういうのは本人にしかわかんないんじゃ」
「黙ってろ!」
 わたしを睨んで、雨市は叫んだ。なにをそんなに怒ってるんですかってハナシですよ。ちゃんと落ち着いて説明してくれないと、なんにもわかんないじゃん!
 ダメだ……イライラしてきた。だけど、いちいち腹を立てていたら、そのストレスで神経痛以外に、胃炎とかになるかもしれない。よし、ほかのことを考えよう。例えば、さっきまで食べてたお寿司……と、まぶたを閉じて逃避していたら、
「じゃあ、アタシの本気のオンナってことに、しときゃあいい」
 竹蔵の爆弾発言に、銀色に輝くサバの脳内画像が、いっきに破壊された。
「え?」
「嘘でいいさ。そしたら手出しはしないだろ」
 ああ、まあ、嘘でいいならなんでもいいよ。いや、いいのか? わけがわからなくなってきたところで、ぐるんと身体ごと振り返った雨市は、竹蔵の間近に立った。
「……そうか、本気か、そいつはいいな。じゃああれだ、おまえはもう、娼窟にもほかの女のところにも出入りできねえな。相手は西崎だ、どこで見てるかわかったもんじゃねえ。ただの遊び相手だと見切られたら、あの野郎はすぐにこいつに食いついてくるぜ。しかもこいつは、娑婆の生きてる人間だ!」
 わたしを指して、雨市が怒鳴る。しかし、その西崎って人が心底わからない。しつこいって、もうどんだけ……。
「そりゃ悪かったね。いまの提案は忘れとくれ、出入りは続けたい」
 きっぱりとした態度で、竹蔵は雨市の意見をつっぱねた。うん、そうだろう。
 雨市の表情が、どんどんと険悪になっていく。そのうちに、居間をぐるぐると歩きはじめて、しばらくしてからピタリと足を止めた。
「……よし、わかった。じゃあ、こうするしかねえな。おい」
 肩越しに振り返って、ギロッとわたしを睨みすえた。
「椿。どうせ一緒に暮らしてるんだ、おまえは今日から、俺の女だ」
「あ?」
 いまのは空耳か!?
「い、いま、なんですと!?」
 落ち着こう。今日は一日、わたしはおかしくなっていた。だからこれも空耳で、冷静になれば、正しい言葉をキャッチできるはずだ。まぶたを閉じて、直立したまま固まっていたら、ちゃかすような竹蔵の声音が居間にひびく。
「おや? じゃあもう、女房も同然だよ、雨市。ここはあんたの家だし、あんたの女が同居してるなら、そいつは女房ってことじゃないか」
 待て。
「ああ、もう、なんだっていいぜ、あの野郎を突っ返せるんならよ! そうだな、いっそのこと、そうしときゃいい!」
 売り言葉に買い言葉なのか。てんぱってわけがわからなくなっているのか、まるで逆ギレしたみたいに、雨市は声を荒らげた。
「椿、おまえは今日から俺の女房だ。いいな!」
 待つんだ。
「じゃあ、あんたも女と手を切らなくちゃいけないよ」
 ちょっと、キミタチ、落ち着け!
「山ほどいるんだ、面倒くせえ。ほっときゃ勝手に、向こうが俺のツラ忘れるさ!」
 山ほどいるんだ。いや、いまはそんなことどうでもいい。
 はああああ、と長く深いため息をついて、顔を撫でた雨市は、そうしたあとで自分の髪をかきまぜる。
「いいな、椿。こいつは嘘だ。嘘でいいから、俺の女房になっとけ!」
 な・ぜ・だ! ていうか!
「はい、はい! 山内さんから意見があります!」
 わたしの意見を聞いてもらえないので、思いきり右手を上げて自己主張してみた。雨市はさも面倒そうに息をつく。
「なんだよ」
「いや、なんでわたしがあんたと、夫婦みたくなんなくちゃいけないんですか、ていうハナシですよ!」
「西崎が面倒くせえからだ。おい、忘れっちまったか? おまえを連れて来たのは俺だけどよ、協力しろってあんとき言ったよな? 黙って言うとおりにしとけ!」
 なんだそれ!
「いや、取り引き的なことは覚えてるけど、てか、違くて、そーじゃなくてさ。その西崎っていう人が、べつにわたしに興味持ったって、決まってるわけじゃ」
 言い終えないうちに、竹蔵にさえぎられる。
「持ってるさ。アタシにはわかるんだよ」
 わたしはテーブルに手をついて、うなだれたまま身体を支えた。そうしないと昨日みたいに倒れそうだったから。
「えーと……で? わたしと雨市氏が」
「おい、待て。その〝氏〟ってな、なんだ?」
 お気に召してないのか。
「ああ、いや、なんか呼び捨てとかできないからさ。ていっても、〝さん〟とかもつけたくなくて、ちょうどいいなあと」
 椅子を引いた雨市は、ふたたび腰を下ろす。テーブルに肘をつき、疲労感をただよわせながら額に手を添えてうつむいた。
「……ああ、もう、好きに呼べ。で? なんか言いかけたな。なんだ?」
 ごめん、忘れた。てか、もっすごい疲れた。すると、竹蔵はわたしを見て笑った。
「椿と雨市が、夫婦じゃあ、西崎は手出ししないさ。とは言っても、一回くらいは訪ねてくるだろうよ。そしてアタシは気楽な立場」
 居間のドアに向かって、竹蔵が歩く。
「気楽な立場?」
「女遊びもできる。こっそり椿とも遊べる。しかも椿はあんたの女房だ。よそさまの女に手を出すなんて、楽しいじゃあないか。いいねえ」
 振り返りざまにいい放ち、ドアを閉めていなくなった。
「え」
 それは不倫……いや、遊べるって、そういう意味じゃないはずだ。ときどき一緒に、お寿司食べたりするってことだろう、そうだろう。つか、ええーいなんかもう、ややこしいから!
「本気にすんな。けど、気ぃつけろ」
 どっちだ! 気をつければいいのか、笑ってスルーすればいいのか、どっちなのかはっきりしてくれ。頼むよもう……。
 いっきに静まった居間で、テーブルに手をついたまま、わたしは顔を上げられない。上げないまま、念のために、訊いてみた。
「……めおと、的な方向ですか……?」
「……ああ、そうだ。そうしとけ」
「なんか、手続き的なもの、って言うのは……?」
「んなもん、いらねえ」
 なる、ほど。納得いかないけど、カタチだけってことみたいだから、まあいいか。いや、いいのか?
「それ以外の、方法っていうのは……?」
「ねえな」
 ないんだ。
 ……父さん。わたし、地獄の入り口みたいなとこで、死んだメンズと結婚しました。カタチだけだけど。 
 まあ、いい。深く考えないようにしよう。わたしは長いモノに巻かれると、腹をくくったんだ。とりあえず寝よう。
「……寝ます」
 宣言して居間を出ようとしたときだ。
「おい」
 呼び止められた。振り返ったら、雨市はむすっとした顔でわたしを見ていて、だらしなく頬杖をついている。
「……まあ、あれだ」
 はあ、と息をつく。
「ともかくよ。面倒かけてすまなかったな。礼を言うぜ。セツを助けてくれて、ありがとな。寿司も食わせてもらう。それから」
 言葉をきると、ちょっとだけにやっとした。
「着物が似合わねえって言って、悪かったな。いいじゃねえか、それ」
 あごをしゃくる。
「それ、てどれ? これ?」
 自分の着物を見下ろしたら、雨市は小さな声ではっきり告げた。
「おう、それだ。似合ってるぞ」
 ……マズい。なんでなのか知りたくないけど、すっごい嬉しいと、思ってる人がいる。
 信じたくないけど、それは、わ・た・し・だ!

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