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壱ノ章

金銭欲は地獄の入口

其ノ3

 村井衣心は、よほどわたしが嫌いらしい。まあおあいこだ。わたしも嫌いだし。とはいえ、キモい感触は残ってしまった。これで高校入学してからのわたしに、黒星がひとつついてしまった、もっすごい、悔しい……!
 金持ち寺の息子にキスされるという、新手のイジメを受けたその夜。
 初夏の蒸し暑い居間にろうそくを灯し、父さんと二人でカセットコンロの鍋をつつく。
 鍋の理由は、冷蔵庫の中の食材が腐るともったいないからだ。
「父さん、電気とかガスとか、いつノーマルになるの?」
 汗だくになって訊く。
「おお、明日、入金できそうだ。三軒ばかし経をあげに行くからな。一万五千円くらいには、なるだろう」
 それだと、滞納している電気かガスか、どっちかしか入金できないのでは……?
 そう突っ込もうとしたわたしを尻目に、食べ終えた父さんは懐中電灯を手にすると、本堂へ向かった。
 わたしは流し台で食器を洗い、燭台を持って床の間へ行く。
 仏壇に飾られた母さんの写真を炎で照らし、「よっ」と片手を上げて挨拶をしてから、筆の入った箱をつかんで居間を出た。
 廊下を歩き、自室の障子を開けて入り、畳の上であぐらをかく。そうしてじっくりと、よくよく筆を眺めてみた。ろうそくに照らされててかてかと光る筆軸は、黒と朱色の混じったような色合いで、かなり不気味な彫り物がほどこされてあった。
 うねる雲を背景に、眼球の飛び出た鬼が髪を振り乱している。その足元には、やせ細った餓鬼的な二体の存在。奴らが鬼に踏みつけられて逃げまどうようすが、無駄にいきいきと彫られてある……。
「……って、たしかに立派かもだけど、気味の悪い筆軸だなあ」
 高級かもだけど、残念このうえない感じ。この筆を「素晴らしい」と喜んで、仏壇に上げる父さんの気が知れない。ウチ、寺だぞ。なんかこの世界とウチが望んでいる世界は、真逆なんじゃないのか?
 さっさと売って、諭吉に変換すべきモノだ。間違いない。
「けど……売れるのか、これ?」
 いやいや、広い世間にはこれを好むお方だっているかもしれないと、思い直してみる。
 そうだよ。案外びっくりな値段で売れるかもしれないんだから、地獄めいたこの筆軸にどん引いて、ここで諦めるわけにはいかないのだ!
 だって、我が寺は危機的状況。いますぐに札束を入手しなければ、それこそわたしがこの餓鬼みたいになっちゃいそうだもの!
 筆を箱におさめてから、することもないのでさっさと眠ることにする。
 布団を敷き、髪を頭のてっぺんでぐるぐるとまとめ、Tシャツとジャージに着替えてからろうそくを消して、タオルケットをかぶる。
 かぶった瞬間、衣心の顔が過ってムカついたけれど、振り払ってまぶたを閉じ、汗だくのまま数回の寝返りをしているうちに、そのまま眠ってしまったのだった。


♨ ♨ ♨

 

 その数時間後。
 わたしは人生ではじめて、金縛りなるものを経験した。
 それはまず、足の指先あたりから、きた。
 はっとしていっきに覚醒したとたん、指先がしびれるように動かなくなり、寝返りをうとうにも身体が動かない。
 衣心のキモイジメによるストレスのせいだと思った直後、目の端に、黒いなにかが映った。そもそも部屋も暗いので、はっきりとはわからないけれど、なんかいる、と感じたのだ。
 髪が総毛立って、ぞわぞわと鳥肌に浸食され、真夏のはずがひどく寒い。これはストレスとか、疲労による類いのモノではない。
 ……コレ、ガチなやつだ!
 見たくないのに怖いもの見たさで、おそるおそる眼球だけを右へ向けてしまう。
 暗がりに目が慣れてくると、部屋の隅にもやもやとした雨雲みたいな固まりがあるのがわかる。それが、机の上に置いた箱入りの筆を包んでいく。と、やがてそのもやもやは、人を象った輪郭を見せた。
 ていうか、人ではない。あきらかにツノがある……ように見える。
 ……額から……ご立派なツノが一本……って!?
 ──鬼、だ!
「う……ぬうううぐぐぐぐうおおおおおお……っ」
 金縛りから逃れるべく、のどの奥からなんとか声を発した。もやーっとしたあいまいな輪郭の鬼は、箱をつかむやいなや、ドンッ、と畳を踏みしめる。とたんに畳に、暗黒さながらな黒い渦がとぐろを巻きはじめた。 
 すごい夢だ、と正直思った。だけど夢じゃない。なぜなら、部屋に大反響する地鳴りふうの声で、鬼が言ったからだ。


 ────百五本め、ちょうだいする!


 ……はあ? 
 畳の上、暗黒の渦の中に、鬼が片足を入れようとする。
 金銭欲とは、おそろしい。相手が鬼であろうが、なんだかよくわからないモノであろうが、おっかながっている場合じゃない。明日の生活のほうが、わたしには死活問題なのだ!
 金縛りが解けたわたしは、とっさに枕元のマンガ本をつかみ、
「諭吉っ!」
 鬼に向かって投げつける。スパコーンと気持ちよく、マンガ本は鬼の額に命中した。
「うおっ!」
 叫んだ鬼は頭をのけぞらせ、間抜けな恰好でうしろにコケた。
 畳の渦が消える。わたしは震えながらもあちこちまさぐり、ライターを探した。やっと見つけたライターを灯すと、畳の上であぐらをかく鬼のあまりのリアルな姿に、思わず絶叫した。
「ぶわあああああ、ぶわああああああ!」
 裂けている口角。その口からのぞく、牙のような歯。額から突き出たツノ、飛び出た眼球。浅黒い肌の身体はやせ細り、のくせに筋肉質で、ボロ布をまとっている。そのうえ、白髪は長髪、かつ、ぼさぼさなのだ!
 ホンモノだ、ホンモノだあ!
「ひゃあああ、うひゃああああ!!」
「うおおお、うおおおおおおお!」
 わたしつられたのか、なぜか鬼もそう叫ぶ。
「照らすな、照らすんじゃねえ! 娑婆の火は苦手だ、妖力が消えちまう!」
 鬼の訴えは無視し、ぶるぶる震えながらなんとかろうそくを灯す。ぐっと頭からタオルケットをかぶったわたしは、目だけを出して訴えた。
「おおおお、おおおおおおに! 鬼! そ、そそそそそ、それは明日のせ、せ、生活費なんだよ! おおお、置いてけ! 置いて、帰れ!」
「んなわけにはいかねえんだよ、小娘!」
 サラウンド的音量ではない、普通の声音で鬼がいう。しかも、爪の伸びた右手をかざして顔を隠す鬼の姿が、ふわりふわりと揺れる黒いもやに包まれるやいなや、人の形に変化した。
「……ん? あ、あれ、鬼……じゃない?」
「いいや、俺は鬼だ」
 まだ手をかざしている。その指先の爪は、もう長くはない。
 その場にあぐらをかき、かざしていた手を下ろすとわたしを横目にした。その姿にあ然とさせられる。
 いつの時代の青年なのか、年の頃は二十代前半。粋な袴姿に、自称イケメンの衣心もふっとぶ、彫りの深いハーフ系イケメンだった。
 大きな黒い瞳に黒髪で、袴姿だというのに、ちょんまげではないヘアスタイルは前髪長く、襟足はカリアゲ。……これは、明治、大正、昭和初期モード?
「い、いや、鬼じゃなくなってるって。あんた、妖怪? それとも幽霊? もしくはお化け……」
 チッ、と元鬼が、苛立ったみたいに舌打ちした。
「おまえのその火のせいで、妖力が消えちまった。だから娑婆は苦手なんだ」
 はあ、と息をついて、ぐしゃぐしゃと頭をかく。
「全部ひっくるめろ。それが俺、だ」
「はあ?」
「妖怪、幽霊、お化け。全部ひっくるめろつったんだ。くそっ、やっぱり竹蔵たけぞうにやらせるべきだったんだ。なのにあいつが、〝憧れの長崎には行ったことがないのよ~、だからあんたがつまんなそうなそっちに行ってちょうだい〜〟っつうから、俺がここにいるってハナシだ」
「……あの、すんません。そのハナシがまるで見えないんですけど」
 わたしの疑問をスルーした元鬼は、煙草はねえかと手を差し伸べてきた。
「……た、煙草を吸う人は、現在非国民みたいな扱いをされてます」
「なんだそりゃ、つまんねえトコだな。ちなみに小娘、こいつを」
 軽く握ったこぶしで、筆入りの箱をコツンと叩く。
「使ってねえだろうな。墨つけて」
 そう言うと、わたしをにらんだ。
「つ、使ってないけど?」
 普通の声のトーンでさらっと訊かれたものだがら、うっかり普通に答えてしまった。
 怖いのに、もっすごい恐怖なのに! 
 元鬼は思案するような形相でこちらをにらみ、しばらく間をおいてから周囲を見まわす。そうしてまたもや、軽く舌打ちをした。
「……まあ、信じとくか。じゃ、もらってくぜ」
 筆箱握りしめて、元鬼が立ち上がる。いや、ちょっと待て!
「も、もっすごいおっかないけど、ちょっと待て! そそそれ、売るつもりなんだよ。ウチ貧乏だからさ……って、あれ? ココ寺だよ!」
「ああ、だからなんだ?」
「いやいやいやいや、あんたはよくわかんない怪しいなんかで、ココは寺。ね? わかるじゃん!」
 元鬼が、顔をしかめた。
「……おまえはおかしな言葉を使うな。〝じゃん〟ってな、なんだ。蘭語か?」
 いいえ、日本語です。いや、それはどーでもいい!
「寺になんで、妖怪幽霊お化けミックスがいるんだって訊いてるんだよ、そうでしょ!?」
「みっくす……てな、どういう意味だ?」
 通じないらしい。
「あ、まあ……混じってる、って意味です」
 答えると、ふ、と目を細めた元鬼は、嘲るようににやっとした。
「寺なんざなんの意味もねえよ。住んでる人間に神通力でもなけりゃあな。どっちにしてもいい加減、裁判待ちにも疲れたぜ。じゃあな、小娘」
 畳を踏みしめようとする元鬼の足に、思わずタオルケットを巻きつけてしがみつく。うっそ、びっくり。感触がちゃんとある。
「時間がねえんだ、邪魔くせえ!」
「よよよ、よくわかんないけど、そそそ、その筆は置いてって! マ、マジでそれないと、のたれ死にするから! てか、その筆ただの筆でしょ!?」
 なにをぬかしやがる、と元鬼はわたしを見下ろした。
「……ただの筆、じゃないの?」
 佳作の景品、なんですけども?
 ろうそく一本に照らされた元鬼の、美しくも鋭い眼差しが、足にしがみつくわたしにそそがれた。
「……ただの筆、そうかもしれねえな。こいつはニセモノかもしれねえが、ホンモノかもしれねえ。だからいただいていくんだ、わかったか、小娘!」
 ぜんっぜんわかりません!
「な、なんの筆だってのよ! それが!?」
 わたしの疑問に元鬼が、面倒くさそうにぼそりと吐いた。
「──閻魔の筆、だ」

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