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壱ノ章

金銭欲は地獄の入口

其ノ2

 ——山内椿だ、目を合わせるな。
 ——山内椿だ、背中を蹴られるぞ。
 山々に囲まれたのどかな盆地の貧乏寺から、地方都市の高校までバスで揺られること二十分。停車駅から校舎まで坂をのぼって校門を過ぎると、わたしを見ては逃げまどう男子どものささやきが聞こえた。
 そのとおりだ。そうそう、そうやっておびえ続けろ!
 二年A組。クラスのドアの前で、女子とたわむれる男子が目に入る。我が憎っくき宿敵、光竜寺の息子であり、自称イケメンの村井衣心だ。さわやかにカットされた焦げ茶色の髪をかき上げながら、女子に囲まれて満面の笑みを浮かべていた。
「夏休みはニューヨークへ行くんだよ。結婚した姉さんが住んでるから、美術館とかいろいろ見てこようと思ってさ」
 すごーい、いいなあ☆と女子。うわあ……引くわ。女子を相手になんの自慢だよ。そして衣心はわたしを見つける。にやっとすると、
「山内は夏休み、どっか行くのかよ? ……てか、ああっと、無理か。そうそう、天泉寺の屋根が傾いてるって、気づいてるか? あれ、なんとかしないと、地震がきたら崩れるぞ」
 ……めっちゃムカつく。誰かこいつの口を、いますぐふさいで!
「ああ、そうっすか。それはご忠告ドウモ。ちなみにそこ、どいてくんないかな? 五、数える前にどいてくんない場合、あんたのその顔にパンチくらわせて、鼻へし折ってやるからね。自称イケメン!」
 ひゃあと、女子が避けた。自称じゃなくて本当にかっこいいのに、山内さんこわーい、と口々にささやき、衣心にしがみつく。そんな衣心は、むっとした顔つきでわたしをにらむ。
 小学校からこいつには、チクチクといじめられまくってきたわたしなのだ。いまでこそ金銭的余裕のなさで通えなくなったけれど、小学六年生から中学二年まで、わたしはボクシングジムへ通っていた。
 理由は、強くなるためだ。
 他人をいじめるような弱い人間は、強い人間に屈服する。いまでも早朝、ランニングと自主トレーニングは欠かさない。ボクシングで鍛えたわたしは、いまやこの高校で誰よりも強いだろう。見よ、この二の腕の筋肉! おかげで彼氏もできないけれど、そんなもんいたって、なんの足しにもなりはしない。
 そんなものよりも、いまわたしが激しく欲しているのは、諭吉の束だ!
 衣心をにらんだまま、教室へ入って自分の席へ座る。すると、後ろの席の唯一の友人、ショートカットがよく似合う陸上部のキュートガール、カガミちゃんがげらげらと笑った。
「あいかわらず朝から男前すぎだって。さすが椿。イケメンもハナクソ扱いですか」
「イケメンって誰のことですかって感じだよ。なんであれが人気なのかわけわかんない。ねちねちねちねちイヤミばっかで、ホントに一回ぶん殴りたい」
 満足にシャワーを浴びることもできないので、ボサボサになっている肩までの髪を振り乱し、机に勢いよくカバンをのせると、カガミちゃんは頬杖をついて苦笑する。
「しかし、人は見た目でわかんないよねえ。あんたが入学したとき、男子がすんごい騒いでたのになあ。すげーかわいい、背の高いモデルみたいな子がいる、とかいって。それがコレだもんね。まあ、わたしは一発で好きになったけどさ」
 カガミちゃんに言わせれば、過去わたしが男子にいじめられてきたのは、正しくはいじめではなく、好き的な一種のひねくれた行為、なのだそうだ。
 スカートめくられたり、突然抱きつかれたり、頬をつねられたりしたその行為が、好きの一種? そんなわけはない。わたしに数々の強いトラウマを残した結果、地球上の全男子が、いまやわたしの敵だ。だからこそ、入学してから放課後、トイレの前やら校舎の裏、あげくはグラウンドのすみに呼び出されて、もじもじしながらわたしをイジメようとしてくる男子どもの尻や足を、有無をいわさず蹴ってきた。そのおかげで男子はやっと、わたしをスルーしてくれるようになったのだ。
 トレーニングがもたらす精神的パワー、万歳!
「村井もさあ、案外あんたのこと好きなんじゃないの?」
 はああ? なんですと!?
「……カガミちゃん、それ以上なんかしゃべったら、ここで吐きます」
「わかった! もうしゃべんない。でも、あいついっつもあんたのこと見てるよ?」
 わたしは、吐くぞ、という意味を込めて、自分の首を手で絞める仕草をする。あわてたカガミちゃんは、口をすぼめた。やがてチャイムが鳴り響き、衣心が教室に入って来る。 たしかに、こいつとはしょっちゅう目が合う。だからわたしは、華麗に無視する。
 こうやって目が合うのは、次なるイヤミ発言のアイデアを、奴が練っているからに違いない。だけどわたしは気にしない。なんなら一発、殴ってやればすむことなんだから。


♨ ♨ ♨


 骨董的筆は、日曜日にカガミちゃんの家で、ネットを眺めながら売ってみることに決まった。
 陸上部のカガミちゃんと別れた放課後、校舎を出る。バス停へ向かっていると、サッカー部であるはずの衣心の姿が見えた。
 部活はとにかくお金がかかる。遠征、道具、その他もろもろ。なので、わたしはどの部活にも所属していない。とはいえ、帰宅部の生徒なんてそんなにいない高校だ。バス停に衣心と二人きりみたいな状態は堪えがたく、奴から離れた場所に立つ。
「山内」
 はるかかなたに立っているはずの衣心が、声をかけてきた。もちろん無視だ。
「山内。おまえ、こえーよ」
 それはよかった。願ったりだ。
 沈黙。バスはまだ来ない。通りの向こうを眺めていたら、すぐそばに衣心の立つ気配がした。視線だけを動かせば、いつの間にか至近距離にいるではないか。
「なにさ。またなんか面白いイヤミでも思いついた?」
「そんなんじゃないよ。なんなんだよ、おまえ。ずっとエッジききすぎだろ」
「生きたジャックナイフがマイテーマなんだよ。ていうか、部活はサボり? 取り巻き的女子はどーしたのさ」
 にやりとしてやった。なのに、衣心はぐっと眉を寄せて舌打ちする。
「……昨日足首ねんざしたから、今日は帰れって先輩に言われたんだよ。つうか、なんなんだよ、マジで。おまえ、昔はかわいかったじゃん。俺がなんかすれば、やめてやめてーとかいって逃げまわってたくせに」
「いつの思い出バナシしてんのよ。あんたお金持ちなんだから、スマホで誰か呼びつけて、車で送り迎えしてもらえばいいのに、なんでバスとか待ってるわけ? 邪魔く……」
 ……さい、と言うつもりだった。
 そう言うつもりだったのに、いきなり左腕を軽くつかまれて引っ張られ、なにごとかと衣心に顔を向けたとたん、世にも奇妙なことが起きた。
 すっと、頬と唇の中間あたりに、やわらかい感触が一瞬、押し付けられる。それは刹那の出来事で、あまりのことに呆然としていたら、バスが目の前に停車した。
 わたしから離れた衣心が、なにごともなく乗る。
 乗らないのかと運転手に声をかけられたけれど、フリーズしたまま動けずにいたら、三十分に一本しか通らないバスが、あろうことか発車してしまった。
 そこでやっとはっとする。なるほど、そうきたか。さすがだ、村井衣心。
 そう、これはあれだ。新手の——イジメ、だ!
 わたしはその場で地団駄を踏んだ。
 くそう、くっそう! いまが殴るチャンスだったのに!!​

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