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壱ノ章

金銭欲は地獄の入口

其ノ1

 欲を捨てよ、と仏教は説く。
 だけどわたしはこう思う。欲がなければ生きている意味なんかない。というよりも、欲をなくした人間の末路をわたしは知っている。
 それは……父さんだ!

「ほう、椿。感心、感心、また写経をやっているのか」

 水曜日の夕方。電気を止められているためテレビを見ることもできず、スマホを持っていないために女子高生らしい交流もままならず(てか、そんな女子高生全国でわたしだけだから!)、ガスが止められているため水のシャワーを浴びたわたしは、狭い居間の畳に正座して、一心不乱に写経していた。そこへ、檀家まわりから戻った袈裟姿の父さんが、のん気な発言をして笑ったのだ。
 ……どうしよう、怒りで筆を持つ手が震えてきた。

「父さん。電気もガスも止められてて、あとは水道と家電だよ」

 台所の冷蔵庫を開けた父さんは、あわてるどころか楽しそうに、あったまった麦茶をコップにそそぐ。それもう冷蔵庫じゃないから。ただの棚だから!

「なんとかなるから、そうカリカリするな。数少ない檀家さんも大変なんだぞ。細川さんとこなんか、いよいよ商店閉めるとさ。ほれ、となりの御影町に、でかい商業施設ができただろう? あれのせいだと嘆いとった。まあなあ、みんな大変、そして私も大変」

 ほほほほと上品に笑って……いる場合じゃないから! 半紙に墨汁がにじんで黒い染みとなっていく。筆を握りしめたわたしは、とうとう立ち上がって叫んだ。

「……てか、お寺って儲かるんじゃないの? 坂の上の光竜寺のおっさん、外車乗りまわしてるじゃん! なんで家は貧乏なの? なんで!?」

「はて……なんでだろうなあ?」

 わたしはうなだれる。こんなやりとりはいつものことだし、世渡りの下手な住職の父さんに文句をいったところで、この貧乏寺にお金が入ってくるわけじゃないもの。だからこそ、もどかしいったらない。

「あそこは昔から有力者の檀家さんが多い浄土真宗だし、お布施の桁がなにしろ違う。それに光竜寺の住職さんは説教もうまい。この前はテレビにも出たし、今度本も出版するそうだ。対するうちはなぜか昔から、檀家の少ない法華宗。檀家の数に宗派の違いは関係ないだろうが、まあ、我が家の家系的に、代々のん気な気質のせいだろう」

 まるで納得できない。苦い顔のわたしに、父さんは続けた。

「いいじゃあないか、椿、貧乏は悪いことか? ほれ、こうして健康。それでいいではないか。すべてはなるようになるまでのことよ。おっと、そうだ」

 父さんが茶色い包みを差し出した。

「昨日、不在票が入っていたから、宅配会社まで行ってもらって来たぞ」

 細長い包みの宛名には、わたしの名前がしるされている。差し出し人には、『株式会社 水嶋商店』の判が押されてあった。住所は新潟だ。

「あっ!」

 思いあたったので、急いで包みをほどく。やぶるみたいにしてほどいた包みの中には、立派な木箱がおさまっており、さらに手紙が添えられていた。
 まさか、まさかと胸が高鳴る。

『山内 椿様
 このたびは、弊社の新商品、日本酒「えんまさま」のロゴ書体への達筆なご応募を、真にありがとうございました。厳正なる審査の結果、残念ながら山内様の筆文字は採用とあいなりませんでした。つきましては佳作の山内様へ、こちらの高級筆を献上いたしたくお送りさせていただきます。ご応募ありがとうございました』

 ……って、筆、かよ!

 大賞二十万円を期待したのに、佳作は筆か! 「社長賞」は五万円だったのに、佳作は筆なのか!? たしかに公募雑誌には、佳作以下の賞金未定ってなっていたけど、せめて二万円くらいの現金になるだろうって予想して応募したのに!

 手紙を拾った父さんは、それを読みながら「ほう、ほう、これは立派、立派」とうなずいている。

「おまえは子どものころから写経していたから、いつのまにやらはんなりとした、よい文字を書くようになっていたんだなあ。ほれ、こういういいこともある。生きていればよいこともあるのだ。素晴らしい、素晴らしい」

 そう、素晴らしかったはずだ。箱の中身が、せめて商品券だったらね!
 なのに中には、ただの筆、だ。綿のつまった細長い箱におさまる、ご立派な毛並みの筆軸をつかんだものの、脱力感におそわれてきた。
 箱に筆を放ってから、正座したわたしはさらにうなだれた。もう泣きたい。

「……てか、筆なんか生活費にならないんだって……マジで……!」

 公募なんて一攫千金を狙わずに、やっぱり地道にバイトをしたほうがいいのかも。そう思った直後、父さんが言った。

「これはまた、ずいぶん立派な筆だな。筆軸は漆塗りか? しかも彫り物がされてある。見ろ、椿」

「見たよ、見た。ああ、もうやめやめ。わたしバイトするよ、父さん」

 実はたいして見ていない。

「いいから、ちゃんと見なさい。これは新品ではないぞ。むしろ骨董風なおもむきがある」

 しゃべりながら箱を手にした父さんは、ふすまを開けて床の間へ向かう。母さんの写真が飾られた仏壇に箱を置き、父さんは正座した。

「母さん。椿がよいものを手に入れました。達筆な娘をもって、幸せなことだ」

 ろうそくに火を灯して、経を唱えはじめる。とたんに、ひとつのアイデアが浮かんでしまった。

 骨董? その類いなら……うまくすれば……売れる! きっと、高値で売れるはずだ!

 骨董的なモノではなくても高級な筆なら、絶対に売れる。明日学校へ行ったら、ネットの達人のカガミちゃんに訊いてみよう。
 意気揚々と経を唱える父さんの背中を半目で見つめながら、わたしはやっぱりこう思う。
 人間、欲は持つべきだ。
 持つからこそ知恵も働くんだよ、父さん!

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