FRIDAY NIGHT FEVER? 02
05:NICOLE'S VOICE
形のいい眉を八の字に寄せて、呆れてる、みたいな顔で、WJがくすっと笑った。やっぱりまだソースがついているんだ。まあ、仕方がない。いまさら恰好をつけたところで、わたしはわたしだしとあきらめたら、WJがソファから降りた。降りて、床の上に長い足を投げ出し、わたしが膝に載せていたピザの箱をつかむ。つかんで、自分の横に置くと、
「おいでよ。このほうがダラダラできるよ」
軽く両腕を広げていう。たしかに、床の上に座ってなにかを食べながらテレビを見るのって、最高だ(ママには叱られるけれど)。ソファからずるりと降りて、WJの横でちんまりと、膝を折ってテレビに顔を向けたら、「そうじゃないよ」といわれる。ん?
「え? そうじゃないってなに?」
すると、WJが軽く膝を折る。
「なんていうか。ぼくがきみのカウチになるよ」
つまり、わたしがWJの前に座る、みたいなスタイルになろう、という提案みたいだ。これって……これって、すっごく、恋人同士っぽい! まあ、さんざん抱き合ったり、軽いキスもたくさんしているくせに、いまさら照れくさく感じることもないのに、なぜだか思わず、リビングを見まわしてしまった。たぶん、どこかのすき間からデイビッドかアーサーかキャシーに、のぞかれている的トラウマによる反応だ。
えへへ、とうつむきつつ、膝を折ったままウサギ飛びして、WJのとってもスリムかつ長い足の間に、またもやちんまりと身を置いてみる。そうしたら、背後からふわっと、WJの腕がまわされる。ひゃああ! 恋人同士としては理想的スタイルだけど、いまや楽しみにしていたテレビ番組なんて、ちっとも視界に入らない。いや、厳密にいえば入っているんだけれども、どきどきしすぎて、どんなにライリー兄弟が、滑稽なことをしてくれても、まったく笑えない!
ひゃあ、ひゃあああ! わたしの左頬あたりに、WJの右の頬がくっついて、くすぐったいし、大人モードっぽい体勢すぎて、とってもパニくっちゃう! ひええええと思いつつ(でも嬉しいのはたしか)、まぶたを閉じたら、WJがしゃべった。
「ぼくらは付き合ってるけど、いろいろゆっくりいこうよ。ぼくもきみもなんていうか、こういうことに慣れてないから。でも、ぼくはきみとくっついていたいと思っちゃうんだ。思っちゃうと、こういうこともできるんだよね」
「う、うん。でも、じゃあどうして、あっちに」
なんとか、ダイニングの椅子を指す。
「座っちゃったの? わたしのこと、嫌になっちゃったのかなと思っちゃった」
そういうことか、とWJがささやく。その声がわたしの耳をくすぐる。
「うーん。てっきりきみのパパとママがいるって思ってたし、だから、ちょっと緊張したんだよ。こういうふうに会えるのは久しぶりだし、きみのそばに行きたかったけど、ようすをうかがってた、っていうか」
ああ、あああああ、とっても安心した。ほうっと息をついたら、ぐぐぐとわたしの頬に、WJの頬が押し付けられる。
「わあ、わあああ、おばあちゃんにやられたことある、これ!」
もう死んじゃったけど、わたしのおばあちゃんはわたしを見ると、必ずほっぺたをくっつけてきたのだ。ああいうのって、小さい時はわからなかったけど、たまにベビーシッターのバイトなんかをすると、すっごく納得しちゃう。かわいすぎて、食べたくなる、という感じ。でも待って、わたしは赤ちゃんじゃないのに!
★ ★ ★
06:WJ'S VOICE
うーん、大変だ。ニコルがすっごくかわいいよ。うなじにキスしてもいいかな? だけどそんなことをしちゃったら、たががはずれて、ヤバいことになるのは目に見えてる。
好きだから大事にしたいんだ。乱暴にしようと思えば、いくらだって可能だけど、ぼくらはぼくらのペースで、ゆっくり進めばいいと思う。ただくっついて、笑ってるだけで楽しいのなら、その時間を大切にしたいと思うんだ。いつかきっと、ぼくらにもそういう時は自然に訪れる。でも、それは今日じゃないし、いまじゃない。
ニコルがくすくす笑って、ほっぺたのサンドイッチみたいになってる、という。だからぼくはおかしくて、笑いながらもっと頬を押し付けて、もう少しだけ強くニコルを抱きしめる。いまぼくは、ありえないぐらい幸せだよ。
★ ★ ★
07:NICOLE'S VOICE
WJの頬がぐぐぐって近づくから、わたしの口がむにゅうっととがる。面白すぎる。ほうらね、どうしたって、大人モードな体勢でも、すっごくロマンチックなドラマみたいにはいかない。
WJがわたしを抱えて、子どもをあやすみたいに左右に揺らしはじめちゃった。ゆりかごに乗ってるみたいな気分になって、声を上げて笑ったら、ばかみたいなことをしていると思ったのか、WJもふふっと、鼻で笑った。でもそのあとで、わたしの左耳の裏に、きゅっと柔らかい感触があたった。ひゃあっと驚いて振り返ったら、WJがわたしを見つめている。眼鏡の奥の瞳が、少しだけ切なそうに見えて、WJにキスしたくなっちゃった。だから、WJの頬に、ささやかなキスをしてみた。そうしたら、WJの表情から笑みが消えた。わたしはまぶたを閉じて、必殺キスの受け入れ態勢をととのえる。脳内は五歳児でも、大好きな人からのキスはもちろん、大歓迎だから!
あとちょっとで、唇になにかが、というよりもWJの唇が触れる……かも! という時になって、おそるべきことが起きた。
がたがたと玄関のほうから物音がして、
「……やれやれ、財布を忘れるなんて、どうかしてるぞママ」
パパの声だ!
★ ★ ★
08:WJ'S VOICE
うわ。すごいタイミングだよ。すぐにニコルから離れて、二人同時にソファに座る。とてもお上品に、背筋を伸ばして、優等生です、といわんばかりの姿勢で。
「気づいてよかったじゃない。取って、すぐに戻るから文句をいわないで、パパ! マイクが車で待っているから、あなたも」
話しながらリビングにあらわれたのは、ミセス・ジェローム、ニコルのママだ。ぼくを見て、ぎょっとする。
「あ、あら!」
ぼくの恰好、大丈夫? ニコルのママがハンサム好きなのはわかってるんだ。なにしろ、ニコルのお婿さん候補は、アーサーだったんだから。というわけで、アーサーに負けるわけにはいかないから、ぼくはすぐに立って、ミセス・ジェロームに近づき、あまりしたくはないんだけど、眼鏡をはずして(眼鏡をはすずと、イケているみたいだから)、握手を求める。
ここは、堂々とすべきだ。
「ウイリアム・ジャズウィットです。カーデナルの生徒で、ニコルの友達です。挨拶が遅れてすみません」
まああああああ! と、なぜかミセス・ジェロームがのけぞった。のけぞりすぎてうしろに倒れそうになったので(灰色のゴーストみたいなもやもやが、そういうふうになったので)とっさに眼鏡をかけ、ミセス・ジェロームの手を取る。それで、強引に握手すると、ミセス・ジェロームはニコルの名前を叫んだ。
「あなた、ニコル! どおおーうして早く紹介してくれないの!」
「ママ! 紹介したじゃない、芸人協会のビルで!」
ソファから立ったニコルも叫ぶ。なんだか面白い親子だよね。
★ ★ ★
09:NICOLE'S VOICE
もう、もう、もううう! ママはWJの手を握ったまま、まったく離そうとしない。これは、とっても気に入ったという証拠だ。
「そ、そそそ、そうだった、わね? ああ、そうだわ、ウィルなんとか……くんね。知ってるわ、ニコルと仲良くしてくれて、ありがとう」
ママの口調が、どこかうきうきしている。WJが野菜を持って来てくれたことを伝えると、さらにママは「まあ!」と叫ぶ。何度も「まあ!」と感激してから、やっとWJの手を離した。
それにしてもビックリだ。WJが堂々と自己紹介をしてくれて(それに、ママのことをよくわかっている。なにしろ眼鏡をはずして、素顔をあらわにしてくれたのだから)、なんだか家族公認、になった気分。すごく誇らしいし、嬉しい!
「本当はもっと早く、ご挨拶をしたかったんですが、いきなり不在中に来てしまって、すみません」とWJ。
「いいのよ!」とママ。
あきらかに興奮している。興奮しながら冷蔵庫の上の棚をまさぐり、財布をつかむと、
「また出かけなくてはいけないのよ。ゆっくりしていってちょうだい。それから、今度一緒にディナーしましょう」
お上品ぶりたいママが、声のトーンを上げていった。ディナー……っていっても、宅配のピザをお皿に盛りつけるていどなんだろうなあ。うなだれたら、リビングを出る間際、ママがわたしに耳打ちした。
「しっかりつかまえておくのよ、ニコル!」
う! ママはわたしから顔を離して、ほほほほと高らかに照れ笑いしながら、リビングを出て行った。わたしとWJは玄関までママを見送り、さらにママはほほほほと笑い、ドアを閉める。
……とっても、疲れちゃった。
★ ★ ★
10:WJ'S VOICE
「うう。ごめんね」
なぜかニコルが謝る。
「え? どうして?」
「だって、なんていうか。落ち着きがないし……って、わたしもその血をあきらかに引いている、んだけど。でも、ありがとう」
顔を上げて、ぱっと表情に笑みが広がった。え、なにがだろう?
「え?」
「だって、なんだかあなたが、とってもたのもしい感じだったから。ああいうふうに挨拶をしてくれる男の子って、けっこう少ない気がするから。なんだか嬉しかったな!」
ぼくはニコルとずっと仲良しでいたい。だから、もしもニコルの両親に挨拶をするなら、堂々としようと決めていた。それがたぶん、うまくいったんだろう。ほっとしながら、そばにいるニコルを見下ろす。さっきまで、すごくいい雰囲気だったけど、まあいいか。
「もうちょっとだけ、いてもいい? 遅くはならないから」
もちろん! とニコルがにっこりする。それで、ぼくは提案した。
「ゲームしようか。そうだ、きみ、チェスを覚えたいって、いっていたよね?」
★ ★ ★
11:NICOLE'S VOICE
こっそり飛んで帰るからといって、WJが床に座る。テレビはすでに番組が変わっていて、最新のヒット曲を歌うアーティストが映っている。パパの持っている、ちょっと古めかしいチェスのボードを広げて、わたしも床に座った。
その番組が終わるまで、いろんなことを話しながら、WJとチェスをした。永遠にこの時間が続いたらいいのになあと思ったけど、大丈夫。いつでも、ずうっと、永遠に、こんな時間が続くとわたしは信じてる。なにがあっても、わたしはWJと一緒だし、嫌だといわれたって、くっついて行っちゃうんだから。だって、こんなに素敵な男の子は、きっとほかに見つからないもの。
チェスの駒を動かしながら、あなたが大好きだといっちゃったら、WJもすっごく、普通みたいな顔でさらりと、ぼくもきみが大好きだよ、といってくれた。それで、結局わたしは負けたけど、WJはキングの駒を持って、わたしのクイーンの王冠あたりに、キングの王冠をくっつける。これって、キスしてる、ってことかな? そうかも。まあ、敵対している同士の、秘密の恋みたいになっちゃってるけど。
うふふとわたしが笑ったら、ボードを超えてWJの顔が近づく。むむむ、今夜のことは日記にしっかり書いておかなくちゃ!
キスをしてから、WJがボードを見下ろした。
「……うーん、よくない関係になっちゃったね。ぼくの国と、きみの国のキングとクイーンが、すごくよくない関係、みたいだよ」
「あなたの国のクイーンと、わたしの国のキングが怒り狂ってるみたい」
WJがにやっとした。
「大変だ、また戦いのはじまりだよ」
というわけで、またチェスをする。それからずっと、わたしとWJはチェスをした。結局、パパとママが帰って来るまで。