FRIDAY NIGHT FEVER? 01
01:NICOLE'S VOICE
来週から新学期という、金曜日の夜。
仕事に出かけるパパとママを見送って、冷蔵庫からコーラを出し、食べかけのピザの箱をつかみ、チップスの袋を口にくわえて、ソファに座る。パパとママは、仕事のあとで芸人協会の仲間と集まるらしく、帰りは遅くなるらしい。
素晴らしい。これは、好きなだけテレビで夜更かしできる、ということを意味する!
こんな夜はめったにないので、テレビの前から離れなくてもいい体勢をととのえて、ソファの上にあぐらをかいたら、チャイムが鳴った。いつものごとく、忘れ物をしたパパかママだろうと思ったけれど、鍵を持っているので(テレビの上に鍵はない! だから、間違いなく持っている、と思いたい)チャイムなんて鳴らさないはず。それに、キャシーはアーサーと映画に行っているので、キャシーとアーサーでもない。
デイビッドは、あの強烈なミスター・キャシディとカルロスさんと、超高級レストランでディナーの最中、だからデイビッドでもないし(来られても困るけれども)、WJもシャロンと会うといってたから、もしかして、ちょっとばかり面倒くさいけど、まさかジェニファー?
だけど、どうしてジェニファー?
うーんと思いきり首を傾げながら、リビングを出て数歩でとどくドアの前に立つ。のぞき穴に片目を寄せると、立っていたのは、グレーのニットジャケットを羽織ったWJだった。
「あれれ? どうしちゃったの?」
ドアを開けて訊けば、紙袋を抱えたWJは、分厚い眼鏡の奥の、ありんこみたいな瞳を細めて、にっこりした。
「シャロンはホテルへ帰ったよ。明日の便が早いんだって。それで、自宅菜園の野菜をくれたんだ。悪くなるといけないから、きみの家におすそわけしようと思って」
大歓迎だ、なにしろ家は貧乏だから!
「ありがとう! ママが喜ぶよ。入って!」
それに、来てくれてとっても嬉しい! 感激しながら、紙袋を受け取って、WJを招く。まだ土のついているジャガイモとオニオンで、紙袋はどっしりとした重さだ。リビングに入り、ダイニングのテーブルに紙袋を置いて振り返ったら、脱いだジャケットを腕にひっかけたWJが、ドアの前に立って顔を動かす。
「あれ? きみのパパとママは?」
「仕事で出かけちゃったの。そのあと芸人協会の人と夜遊びするんだって。だから今夜のわたしはテレビを独り占め! この時間って、ママが大人モードな恋愛ドラマに釘付けだから、コメディ番組をいつも見られなかったんだもの、めちゃくちゃラッキー、でしょ!? 入って!」
おずおずとしたようすで、WJがリビングへ入る。プロムの夜以来、WJが家に来るのはこれで二度目だ。長いホリディの間、わたしたちはもちろん、サマースクールに通っていたわけだけれども、選択科目が同じではないし、スケジュールもまったく合わなくて、そのうえ、WJはデイビッドとずっと一緒で、パンサーがらみで忙しそうだったし、わたしはわたしで学年末試験のひどい成績を挽回すべく、スクールのあと芸人協会で、資料整理なんかのバイトをしていたから、ずうっとゆっくり会うなんてことが、できなかったのだ(今日がバイトの終了日だったから、シャロンにも会えなかった、というわけ)。
まあ、電話では話していたけれども、会って話すのと、電話越しって、やっぱり全然違うでしょ? そのうえ、わたしには長電話禁止令が発令されていて、時間制限に焦りまくっているうちに、通話終了時間になっちゃっていたし。
それにしても、背の高い男の子が、狭いリビングに立っている光景って、なんだかとっても不思議な感じ。まるで自分の家なのに、自分の家じゃないみたいに思えてくる。
でもヘンなの。座って、とソファであぐらをかいたわたしが、自分の隣を手で叩いたら、うん、と答えたWJは、なぜかダイニングの椅子を引いた。えええ? そこじゃテレビが、見えないのに!
★ ★ ★
02:WJ'S VOICE
てっきりミスター&ミセス・ジェロームがいると思ったのに、二人きりだなんて思わなかったよ。また挨拶しそこなっているし、それに、まいったな。妙に緊張する。
ホリディの間、ぼくはずっとデイビッドとカルロスと一緒で、パンサーになっている時のちょっとの間、このアパートの窓越しに、ニコルに会うか、電話で話すかぐらいしかできなかった。ニコルはニコルで忙しそうだったから、今夜みたいにのんびり二人きり、っていうのが、すごく久しぶりだから緊張するんだ。
それに、ホリディ前はいろんなことがありすぎて、そのうえ、常にそばには誰かいて、あの頃のぼくってちょっと、パニくってた気がする。いつもはいわないようなことを、ニコルに向かっていったり、デイビッドやアーサーに、ニコルがもっていかれそうな気がして、先に手に入れなきゃ、っていう、焦った感じだったから。
いま考えたら、自分じゃないみたいだったと思う。でも、こうやっていろいろ落ち着いた状態で、二人きりになると、とたんにわけがわからなくなる。どうやってニコルのそばにいけば、いいんだっけ? そばにいきたいけど、いっちゃったら、きっともっとわけがわからなくなるような気がして、こわくなる。
うまくいえないけど、ぼくの名前が入ったスタンプを、ニコルのあちこちに押しまくりたくなる、ような予感がして、絶対にここから動きたくない感じなんだ。いっそ帰ってしまえばいいんだけど、それもしたくない。
ソファの上であぐらをかいているニコルは、膝に載せた箱からピザを持ち上げ、頬張りながら、あなたも食べる? という顔をする。ああ、頬にソースがついてるし。だからぼくが、自分の頬を指でさすと、ニコルがくりっと、目を丸めた。くったりしたラグランシャツに、いかにもパジャマのズボン、といったラフなボトムを、くしゃくしゃのソックスの中につっこんでる姿は、ぼくの好きな恰好だ。リラックスしていて、いまにも眠りそうな雰囲気。きっとテレビを見ているうちに、うとうとしはじめて、クッションにつっぷしちゃうんじゃないかな。
まだ頬にソースがついてる。そこじゃなくて、ここだよ。ぼくが自分の右頬を指すと、ニコルは左の頬を指でぬぐう。
「違うよ、そこじゃないよ」
「え、どこかな。ああ、番組がはじまっちゃった。やったあ、ライリー兄弟が出るみたい! あなた知ってる? ライリー兄弟。ミツバチの恰好して面白いことするの。もうWJ、そこじゃ見えないってば。こっちで一緒に見よう。すっごく笑えるんだから!」
女の子ってのん気だよね。いや、違うな、ニコルがのん気なんだ。というよりも、デイビッドのいうとおり鈍感。それとももしかして、ぼくのことを全然意識してないってことかな。これじゃまるで、長年連れ添った老夫婦みたいだ。もちろん、そういうのって憧れるけど、まだ早いよ。
ニコルって、ひよこみたいだなと思ってふいに、子どもの頃、孤児院で、ひよこを見たことを思い出した。手の上に載せたら、ふわふわで小さくて、ずっと両手に置いておきたい感じになったんだ。それで、もっと毛並みの感触をたしかめたくなって、頬を近づけたら、なんとなく残酷な気分におそわれた。両手できゅっと、隠したくなってそうしたら、同じ孤児院の仲間だったケリーに、窒息しちゃうわよ、っていわれたんだったかな。
ぼくが両手で、ニコルを隠したら、窒息するかな。どんな顔するんだろ。
…ああ、すごくよくないよね、こういう方向の思考ってさ。やっぱりいますぐ、帰ったほうがいいみたいだ。でも、椅子から立ち上がれないのは、どうしてだろう?
★ ★ ★
03:NICOLE'S VOICE
どうしよう。WJがとってもつまらなそうだ。わたしのほっぺたにソースがついてるって、教えてくれただけで、あとはずっと無言。ダイニングの椅子に座って、ぼうっとこっちを眺めながら、頬杖をついているだけ。それでわたしは、はっとする。わたしったら、シャワーを浴びたあとの恰好のまんまで、そのうえ頬にピザのソース。これって、女の子として最悪なスタイル、なのでは……?
大変だ。WJはこんなわたしを見て、きっとがっかりしちゃってるんだ。いままではいろんなことがあったから、スルーしちゃってたことも、落ち着いて思い返したり、冷静にわたしを観察しはじめて、あれ? ニコルってこんなだったっけ? なんて、思ったりしちゃってるのかも!
前にランチの時間、隣のテーブルに陣取っていた女の子たちが、しゃべくっていたことを思い出してしまった。なんとも思っていない男の子と女の子が、一緒にジェットコースターみたいなものに乗ると、恐怖でどきどきして、そのどきどきを恋してるどきどきと勘違いして、コースターから降りたとたん、付き合うようになっちゃったりすることも、あるんだって話してた。
それって、まさに、わたしとWJじゃない?
ホリディの前の日々といったら、リアルにそんな感じだったから。ギャングかミスター・マエストロに追いかけられて、毎日がジェットコースター。もしくは、目まぐるしいメリーゴーラウンド。どきどきしまくりの毎日で、だからWJも、そのどきどきを、わたしが好きかも的どきどきと、勘違いしちゃった?
ちなみにわたしは、完璧に違うといえる。ここにいるWJは、相変わらず、寝癖気味な髪だし、いまじゃ誰もかけてないような眼鏡だし、ニットジャケットはまあ、かわいいデザインだけど(きっとシャロンが買ってくれたんだと思う)、デニムにシャツ、というだけの、とってもフツーかつ地味なスタイル。でも、そんなのわたしには関係ない。ただし、眼鏡をはずしたら話は別だ。冴えないスタイルもオシャレに見える、誰よりもハンサムな男の子になってしまうから。
ともかく。見た目はおいておいて、WJのいいところを、わたしはたくさん知っている。だから好きだし、一緒にいたいのに、隣に座ってもくれないなんて、これはあきらかに、由々しき事態だ。
いますぐ自室に引きこもって、着替えるべき? こういう時、なにを着たらいいんだろ。その前にソースをきちんとぬぐわなきゃ。というわけで、シャツの袖口を指先まで引っ張り、犠牲にすべく、いっきにぬぐう。うわああ、ソースがべったりだ。これで着替えなくちゃいけなくなった。ええとう……、ワンピース? 紺色のチェックのワンピースがあるけど、あれは流行遅れでサイズも合わないから、却下。
十七歳になったんだし、もっと大人っぽくしなくちゃ。憧れるのはデニムにさらりと、シンプルなニットなんかを着る感じ。そのニットは、ジェニファーが着てるみたいな、サイズ小さめなやつがいい……って、そんなのわたしのクローゼットの、いったいどこにあるっていうわけ? それにああいうトップスって、胸があるからこそ似合うって思う。そもそも持っていないし、胸もないから却下。
どうしよう、わたし、男の子みたいな洋服しか持ってない。それに、髪型だってまるっこいビートルズだし。というか、ミス・ルルがひっきりなしにわたしに電話してきて、髪型はどうなってるのかと訊いてくるから、ちょっとでも伸びたなんていったら、わたしの居場所に押し掛けて、有無をいわさず切っちゃうので、変わりようがない、のだけれども。
ともかく! もう、スニーカーもやめなくちゃ。ちゃんとヒールのある靴じゃなくちゃ。
どうしよう。むむむとテレビを凝視しているくせに、脳内がパニくってきて、ライリー兄弟のハチャメチャ演技に、全然笑えなくなっちゃってる!
★ ★ ★
04:WJ'S VOICE
前のめりぎみになって、テレビを見ているくせに、ニコルが全然笑わない。テレビからは観客の笑い声がとどいているのに、ニコルの横顔がこわばって見える。まるで哲学書でも読んでるみたいな表情だ。
そのうちにうつむいて、今度はしょんぼりしはじめる。しょんぼりする時のニコルって、すぐにわかる。まあ、なんでもすぐにわかるけど。ちょっと口をすぼめて、軽く頬をふくらませるんだ。それは必死になって考えているという証拠だ。
「面白くないの?」
訊くと、びくんと肩を上げてぼくを見た。
「え。ど、どうして?」
「笑わないから。好きなんじゃないの、ライリー兄弟?」
テレビをしめす。ぼくからはテレビのブラウン管部分がおさまった、木目をよそおった側面しか見えない。ぼくの言葉に、ニコルはまたしょんぼりする。いったいどうしちゃったというんだ?
「……ごめんね」
いきなり謝られてしまった。ええ? それ、どういうこと?
「え、なにが? どうしたの?」
わけがわからなくて、ぼくは椅子から立ち上がる。
「あのね。わたし、ジェニファーみたいなニットがいいなあと思ったんだけど、そういうの持ってないし、いっつも男の子みたいな恰好でしょ?」
洋服についての話題のようだ。突拍子がなさすぎて、思わず笑いそうになったけれど、ニコルにとっては深刻な問題みたいだから、にやける口元を手のひらで隠す。それにしても、なにがどうして、そういう話題になるのか、ぼくにはまるきりわからないよ。
「恰好?」とぼく。
「うん。それでね。いまもこんなじゃない? 袖口にソースついちゃった」
それはさっき、自分でぬぐったからだよ。ソースのせいで、落ち込んじゃったのかな?
「大丈夫だよ、洗えばとれるよ」
「……そうなんだけど。そのお。わたし、なにを着たらいいのかな?」
え? それをぼくに訊くの? センスゼロのこのぼくに?
「それって、いま、ってこと? それとも学校でってこと? きみが着たい服でいいと思うよ。いまもだし、学校でも」
ニコルに近づく。ふわふわのブラウンの髪が見下ろせた。いますぐ触って、くしゃくしゃにしてやりたくなるけど、我慢する。だって、しょぼりしているニコルに、そんなことをしたら、びっくりさせてしまうもの。
「どうして謝るの?」
「うーん……。だって、あなたがなんだかつまらなそうだから、がっかりしちゃたのかもと思って」
ぼくがつまらなそう? がっかりって、どうして?
「つまらなくないよ。どうしたの?」
ああ、とうとうニコルの隣に、座ってしまった。よくわからないけど、元気づけなくちゃいけないみたいだからね、というのは半分いいわけだけど。それにしても、面白すぎるよ。どうしてぼくがつまらなそうに、見えたんだろう? 吹き出しそうになるのを、必死にこらえて訊いてみる。
「それに、がっかりってなに?」
するとぼくの右隣で、ニコルはうつむいたままもぞもぞと答えた。
「ずっとしゃべらないし、テレビの見えないところに座っていたから、いまみたいなわたしのことを見て、がっかりしちゃったのかもと、思って。ソースついちゃってるし、かわいいみたいなルームウエアでもないし。というか、おじさんの休日、みたいな恰好だなって気づいちゃって。これって、パパとおんなじ恰好だもの。パパの場合、お腹がぽっこり出ちゃってるけど」
ニコルには、いいにくいことを告げる時、両手の指をくるくる重ね合わせる癖がある。ちっちゃな子どもみたいだけど、この癖がすっごくかわいいんだ。それに、うつむいたニコルの、まつげの長さに気づかされて、もっと間近で見たくなって、のぞきこむ。
キスしたいな、と思って、もっと顔を近づけたら、ぼくを見上げたニコルが、自分の口元を指でぬぐいながら。
「もしかして、まだどこかにソースついてた?」
違うよ!
どうやら緊張している場合じゃないみたいだ。しょうがない。