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SEASON1 ACT.01

 子どものころのスーパーヒーローはミスター・マエストロ。

 クラシックハットをななめにかぶっていて、葉巻をくわえていて、高層ビルの屋上に立って、悪党を見つけるやいなや、華麗にコートをひるがえし、地面にダイビングする。テレビのモノクロ画面のニュース番組に、その姿が映るたび、わたしは目をまんまるにして、ぽかんと口を開けて見入っていたものだ。

 ミスター・マエストロは映画にもなったし、コミックのキャラクターにもなって、当時の子どもたちはみんな、彼が大好きだった。もちろんわたしも。学校では彼の真似が上手な男の子に人気は集中していて、葉巻の形をしたチョコも大流行り。

 どうしてあんな高いところから飛び降りることができるのかと、パパに訊いたことがある。ピエロの化粧をしたままのパパは、たばこに火をつけると、ふふんと自慢げに笑いこういった。

「ニコル、それはスーパーヒーローだからだ!」

 答えになっていない。

 やがてミスター・マエストロは引退。しばらくヒーロー不在の状態が、このクレセント・シティに続いて、いっきに悪党のはびこる、悪名高き摩天楼の街になってしまった。だいたいスーパーな能力のある人間が、そうそういるわけない。子どもたちはミスター・マエストロの名前を口にしなくなり、葉巻のチョコもいつの間にか市場から消えてしまった。

 警察が地面にはいつくばって、必死に車を走らせるという、つまらないニュース番組が何年も何年も続いて、突如それが一変したのはいまから半年前のこと。いきなりニュース番組の中継車の前に、空中から飛び降りてあらわれたその人物に、わたしたちはミスター・マエストロの再来を見たのだった。

 黒のコスチュームは、ほどよく筋肉の浮かび上がったスリムな身体にフィットするタイプで、右腕にはダイヤモンドをもじった小さなマークがあるのみで、無駄な装飾はいっさいなし。まるで黒豹かドーベルマン。その上から、関節部分に防護用のパッチみたいなものをあてていて、動きやすそうなショートブーツを履いていた。顔半分が隠れるマスクの、目の部分には未来的な細長いサングラスを装着していて、ともかくその姿は、ひとことでいえば「超クール」。マスコミが勝手に命名した謎のニューヒーローの名前は「パンサー」だった。

 かなり直球のネーミングセンスだとわたしは思っている。

「もうちょっとあると思うんだけどなあ。それがなにかと聞かれても、わたしにはさっぱりだけど」

 ぶつぶつとつぶやきながら、黄色と黒の水玉模様の派手な洋服を洗濯機に押し込めて、洗剤を流す。スイッチを入れたとたん、バチンとアパート中に音が響いて、いっきに電気が落ちてしまった。直後、パパとママのあわただしくも興奮気味な声が、リビングから聞こえてくる。

「あなた、ろうそく! いいえ、懐中電灯はどこ!?」

「それよりも、キタ、キタぞ、おい! ニコル! 早くおいで!」

 いい大人が停電に騒いでいる、と思わないでほしい。この停電はあきらかに。

 真っ暗闇のアパートの廊下を、手探りで歩いてリビングに向かう。カーテンを開けたパパは興奮していて、ママを呼ぶ。十階建ての七階のアパートの部屋の窓に、パパとママは顔をおしつけ、子どもみたいに上空を見上げてなにかを待っていた。地上から放たれる車のライトのおかげで、かすかに景色が見えるていどだ。

 と、それは一瞬だった。

 上空から、窓を横切っていったのは、まさしく黒豹、パンサーだ。おおっ! とパパは窓を開けようとして、ママに制される。わたしも窓に駆け寄り、眼下を見下ろす。レンガ造りのアパートが立ち並ぶブロックの一角に降り立ったパンサーは、優雅な身のこなしで、追っていたらしい人影二名を、あっという間にのしてしまった。

「……見たか?」とママの肩を抱くパパ。

「……これ、映画の撮影じゃないのよね?」とママ。

「……たぶんね」これはわたし。やがて警察の車がのされた男たちを囲むころ、パンサーはすうっと頭上を見上げて、飛んだ。

 絶対重力に反してる。でも、これは現実だ。

 パッとリビングに電気が灯り、パパは電話のほうへ駆け出す。友人知人にかたっぱしから電話をかけ、パンサー目撃の興奮を伝えるためにダイヤルを回しはじめる。

 ママはわたしを見ると、肩をすくめて苦笑しながらいった。

「お願いだからパンサーとつきあうのだけはやめてちょうだいよ。パパの電話代で破産するから」

 わたしは答える。

「……あ・り・え・な・い」

 ママはキッチンに行きすがら、ソファに散乱した雑誌を指す。表紙を飾るのは映画スターみたいなハンサムな男の子だ。ブロンドの髪に青い瞳。誰もが憧れる、というよりも女の子たちの憧れの的、ザ・アイドルであり、わたしの通っているハイスクールの同級生。成績優秀、スポーツは当然万能。実家は有名なファッションブランド「ダイヤグラム・チャイルド」を仕切る資産家。現在ミラノに家族が住んでいるため、休暇に訪れる以外はこの街でひとりで暮らしている。そんな彼の名前はデイビッド・キャシディ。でも、彼はアクターでもアーティストでもデザイナーでもない。その雑誌を指して、ママはいったのだった。

「あら。パンサーは同級生でしょ、ニコル?」

 そう。だからパンサーの右腕には「ダイヤグラム・チャイルド」のマークがプリントされていたのだった。

★ ★ ★

 

 顔ばれのニューヒーローは、今朝の登校も派手きわまりない。ハイスクールまで二十分かけて自転車をこいで通っているわたしとは雲泥の差だ。黒くてピカピカの車からデイビッドが降りたとたん、門の前に立っている警備員がサインを求めに駆け出す始末。女の子たちも取り巻き、男の子たちも取り巻き、その背後には新聞記者やテレビ関係者がくっついて来ていて、ごった返している。

「まあまあ、待って、待って。順番に」

 デイビッドの穏やかなバリトンの声が聞こえてくる。自転車から降りて、そのそばを通り過ぎたとき、

「おはよう、ニコル」 

 背負ったバックパックがたたかれて、振り向く。寝癖がとびまくり、分厚い眼鏡をかけたわたしの唯一の異性の友達、ウイリアム・ジャズウィットだ。いつも、三日は野宿できるくらいの荷物を背負っていて、そのうえ手には宇宙だとか物理だとかの本を抱えている。

「おはようWJ」

 地味で目立たず成績は優秀だけどスポーツの才能はゼロ。クレセント・シティの女子高生にとって、これは最悪を意味する。成績は優秀じゃなくても、スポーツ万能なほうがモテるし目立つのだ。デイビッドみたいなのはいわずもがな、その頂点に属するわけだけど。

 だからWJは、ちょっとばかしみんなに蔑まれている。ただし、そんな彼がデイビッドと仲良しなのは、なにか物理法則に反した武器だとか、防護用品だとかのアイデアを、伝えているからだろうと思われていて、一目置かれているのも事実だ。

「あなたのお友達、昨日わたしの家を停電させてどっかに飛んでったよ」

 はははとWJは笑って

「警察もずっと追いかけてた麻薬の売人だったんだってさ。なにしろあっちもこっちも」

「ギャングだらけ」

 わたしが引き取るとWJはうなずいた。

「おはよう、ニコル!」

 声をかけられて振り返ると、キャシーが駆け寄って来る。肩にかかった、染めていない、生粋のブロンドのストレート。大きな瞳は一点の曇りもない青空みたいで、まつげは長く、肌は雪のように白い。そのうえ頬はほんのりピーチ。唇はぷっくりしていて、わたしは女の子だけど、彼女とキスしたらどんな感じだろと、うっかり考えてしまうこともある。

 彼女を見かけるたび、わたしはほうっとため息をもらしてしまうのだ。

 どうして神さまは、全ての女の子の容姿を統一してくれなかったんだろ。  

 わたしといえば平凡なチョコレート色の髪を年中ひっつめているだけ。顔も中の中。うーん、どうだろ、鼻がすっごく低いから、むしろ下? 家計を助けるために、パパの仕事の助手をしているから、ピエロの強固なメイクのせいで、そばかすも目立ってきたし、おまけに視力も悪くなってきた。それなりにおしゃれをがんばってもみてるけれど、WJみたいな分厚い眼鏡なんてかけちゃったら、ただでさえ男の子に注目されない存在が、透明人間さながら、その存在すら見えなくなっちゃうんじゃないかと心配しているところだ。

 キャシーはそんな極上の容姿の持ち主で、性格もすごく良いから、もっと目立つグループに入れるだろうに、わたしやWJと一緒にいることを好んでくれる。なぜなら彼女は、こう見えてコミックが大好きなのだ。目立つグループの中で、男の子とつきあったり、「カーデナル・ハイスクール最高!」とか声援を送りながら、バスケのチームを応援したりするよりも、わたしやWJとぬるーく、ゆるーい、超文科系な会話をしているほうが、気が休まるし楽しいのだといってくれる。

 だからわたしは、自分をけっこう気に入っている。男の子にモテないけど、キャシーやWJという素敵な友達がいて、ピエロの仕事のおかげで、資産家の立派な屋敷で開かれるイベントが舞い込むこともあって、子どもたちには大人気。おまけにケーキを食べられたりする。最高じゃない。

 身の丈にあった運命というものがある。わたしはじゅうぶん、身の丈にあった生活を楽しんでいる。なにより同じ校内にスーパーヒーローがいるのだ。接触はほとんどないけど。

 ともかく。キャシーがやって来たことで、WJは耳まで真っ赤にして、口をつぐんでしまう。いきなり自分の身なりを気にし始めて、寝癖を手のひらでおさえつけようとするも、うまくいかない。

「おはよう、WJ」

 キャシーがWJに声をかける。もごもごと、WJは挨拶をつぶやく。ああ、もう! そんなことじゃキャシーに気持ちなんて伝わるはずないのに。

 そうなのだ、WJは目下片思い中。相手はキャシーで、わたしはひそかに応援している。だから自転車を引きながら、ゆっくり二人きりにして、駐輪場に向かおうとしたとき。

 門の前でざわめいていたはずの人ごみが、ゆるやかにこちらに流れて来る。あきらかにデイビッドが移動している証拠だ。

「失礼、ちょっと失礼」

 手を上げて、人ごみをかきわけ、あらわれたデイビッドに、WJは挨拶した。するとデイビッドは、ものすごくさわやかな笑顔で

「やあ、WJ。ランチは一緒にね」

 いいよ、とWJ。そしてデイビッドは挨拶も早々に、わたし、は無視して

「おはよう、キャサリン・ワイズ」

 おもむろに髪をかきあげながらいった。なんというか、華やかな外見のうえに、妙なオーラがあって、彼の周囲には光が瞬いて見えるような気がするのはたしかだ。しかも、あきらかに。

「おれの活躍、今朝のニュースで流れていたんだ。見てくれた?」

 キャシーは硬直する。

「えっ? ええ……」

 彼の視線にはキャシーしか映っていないのも事実。WJはうつむいて、わたしのバックパックをつかみ、駐輪場へと引っ張っていく。

「な、なに?」

「邪魔しちゃ悪いよ」

「つきあってるわけじゃないわ、もう! わたしはあなたの味方なのに。たしかにデイビッドはヒーローだし、ハンサムだし、ちょっとやること派手だし、女の子にモテモテだけど、わたしはあなたとキャシーがつきあったら素敵なのに、と思ってるんだよ」

 WJは肩をすくめて

「ありえないよ。ぼくはこんなだしさ。それに、彼女の前に立つとなんにもしゃべれなくなっちゃうし」

 これだ、これ。この気持ち、わたしはかなり同化しちゃうんだ。

「……わかるけどさ。わたしも男の子に相手にされない過去をもってるから。というか、いまもだけど。でも、あなたは優しいし、背も高いし、スポーツとかもっとがんばればいいんじゃないかな? それにデイビッドの友達って、かなりオイシイ状況だとは思うんだけど。もう、もっと寝癖とかなおして!」

 WJの寝癖を手のひらでおさえつける。するとWJはくすりと笑って、眼鏡越しのありんこみたいな眼差しをわたしに向け

「ぼくが緊張しないでしゃべれる女の子はきみだけ」

 それって意識してない証拠じゃない。まあ、わたしもだけど。

 デイビッドとキャシーから少し離れた場所で、地味なわたしたちが地味なやりとりをしていたまさにその時だ。ややこしいことこのうえない光景が、繰り広げられようとしていた。

 デイビッドを押し切って、キャシーに挨拶をしているのは、パンサーの宿敵、もといライバル? 父親がクレセント・シティの市警部長をしている、冷静沈着、こちらもかなりなハンサム、そのすっきりとした面立ちの顔に、WJみたいな分厚いガリ勉タイプではなくて、鋭くも美しい黒曜石みたいな瞳がしっかりと見える、細いフレームの眼鏡をかけているアーサー・フランクルが、デイビッドの前に立ちはだかっていた。

 アーサーは黒髪をかきあげつつ、蔑みの視線を眼鏡越しにデイビッドに向けて、

「サウス・リバーの五ブロックを停電させたな。おまえのアホな動きのせいで、こちらはいい迷惑だ、デイビッド・キャシディ」

「とろい警察なんて相手にしていられないよ、アーサー・フランクル。おれがひとっ飛びしている間に、きみたちは生真面目な蟻のように右往左往。おっと、きみたち、ではなくて、きみの父上の、かな?」

 キャシーは肩越しにこちらを振り返ると、ものすごく困ったように眉を寄せ、口だけを動かして「た・す・け・て!」という。しかたがない。自転車のハンドルをWJにあずけたわたしは、アーティストに押し迫るファンを制す、コンサートの警備員のように両手をかかげながら

「オーケイ、紳士たち。順番に挨拶は終わったのよね? だったらキャシーを連れて行ってもいいかな?」

 にらみ合う背の高いふたりが、同時にわたしを見下ろす。

「……誰だ?」とアーサー。

「……わからない」とデイビッド。

 わたしはうなだれる。毎朝同じことしているのに、どうしてわたしの名前を覚えないの?

「ニコル・ジェロームよ。じゃあ、さようなら!」

 キャシーの手を取れば、ストップと同時に声をかけられて。

「すまない、ええとう……ミス・ジェラード?」とアーサー。

「違う、ジェローラだ」とデイビッド。

 どっちも違います!

 わたしをおしのけ、キャシーの前に立ちはだかったアーサーはデートを申し込み、それを押しのけデイビッドもデートを申し込む。どんどん押しやられたわたしを手招きするWJは苦笑気味。笑みを浮かべてる場合じゃないでしょ、もう!

 うなだれながらWJのそばへ行くと

「モテるってのもなんだか大変そうだよね」

 のん気なセリフ。

「あなたもあそこに混じってデートを申し込むべきよ!」

 わたしの必死の提案に、WJはくすりと笑って肩をすくめる。……はあ。

「……お互いなんとかしたいわよね。まあ、わたしには好きな人なんていないからなんともできないんだけど。でも、あなたのことはほんとうに応援したいんだよ。あのふたりはたしかに、まあ、カッコいいかもだけど、人の魅力ってそれだけじゃないでしょ? 自信を持ってほしいのよ、もう!」

 背だけは高いWJは、ぽんとわたしの頭に手のひらをおいて、ありがとうとささやく。そしていった。

「でも、ぼくのライバルはヒーローとクールな男の子。どう考えてもわりにあわないよね」

 

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