「――ママ！」

『ジーン？　元気そうでよかった！　のどの痛みと風邪は平気？』

　どっちもキャシーママのありがたい嘘だけれど、いきなり元気いっぱいもあやしい。ちょっとばかり咳き込みながら、

「だ……ゴホッ、大丈夫！　そ、そっちは何時なの？」

　心苦しいけれどしかたがない。うう……ママ、ごめん！

『夕方の五時をまわったところ。まだ咳が残ってるみたい。もしも辛ければ学校は休んでいいから、じっとして眠って早く治してね？』

「うっ……うん。わ、わたしのことはいいから、ママは楽しんでる？」

　もちろん！　とママ。うっとりした声色で、パスタやピザ、ワインにチーズ、煮込み料理にチョコレートにお菓子と、おいしかったものの感想をのべていく……って、さすがわたしのママ。食べ物ばっかり。

『帰ったらダイエットしなくちゃいけないかも！　パパにお腹をつままれて笑われてるから。あ、パパに変わるわね？　あなたと話したそうに手を伸ばしてる――』

『――ジーン？』

「パパ！　旅行、楽しんでるみたいでよかった！」

『うん、楽しいよ。パパもジーンの声が聞けて安心した。電話をするたびにタイミングが悪くて、まるで出かけっぱなしのきみをキャシーがかばってるみたいに思えてたんだ。ママには〝そんなことない〟って笑われていたけれどね』

　冗談っぽい笑み交じりな声音だったけれど、さすがパパ……鋭い。

『ジーンにたくさんお土産買ったから、楽しみにしてて』

「ほんと？　なにを買ってくれたの？」

『ジーンの好きそうなこっちのコミックとアートブック、ハガキとシールとかいろいろね』

　全部に目がないから興奮した。物であふれた部屋を掃除して、飾る場所を確保しなくちゃ！

『ママは面白いアクセサリーとかおかしなＴシャツをたくさん買ってるよ』

「おかしな？」

　クスクスとパパが笑った、

『クマの顔がプリントされていて、その目が動くシールが縫い付けられてたりとか。小さなピザがぶらさがってるピアスとか……とにかく全部が笑えるやつだよ』

　ママ、わたしの趣味を知りつくしてる！

　ひとしきり喜んだあと、これからちょっとおしゃれして、高級レストランに行くと教えられた。今回の旅で初の本気ディナーらしい。

「邪魔者はいないから、思う存分いちゃついて」

　わたしの言葉に、パパが笑った。

『そうするよ』

　ママに代わる。そうして、お互いに「愛してる」と告げて電話を切った。

「バレそうだっただろ」

　学校に行く準備を終えたヘンリーが、バックパック右肩に下げた格好でリビングに戻り、わたしを見た。

「うっ……そうだね……。パパは確実に怪しんでたみたい」

「そうなの？　わたしの嘘、完璧だったはずなのに！」

　キャシーママが悔しがる。そんな彼女を半眼で見たヘンリーは、面倒そうに息をつく。

「どうせ、こっちに戻ってニュースを見たらピンときて、全部バレるはめになる。こんなのはただの猶予期間だろ」

　おっしゃるとおりです……。でも。

「ママとパパがなんにも心配しないで旅行できたら、それでいいんだ。戻ってバレて叱られるのは、いまから覚悟しておく」

「そうね。きっとわたしも叱られるわ。ニコルじゃなくてＷＪに。そしてたぶん、アーサーもデイビッドも」

　キャシーママは遠い目をして天井をあおいだ。そんな彼女に、ヘンリーが言う。

「まるで高校生みたいだ」

「……否定できないから辛いわ。むしろあなたがたのほうがずっと大人よ」

　やれやれと、ヘンリーは眼鏡の位置をととのえた。

「行ってくる。久しぶりの大ネタに部員の興奮がすさまじいから、今夜は副部長の家で泊まり込みになるかもしれない」

　ふう、とこれみよがしな息をつき、うらめしそうな視線をわたしに向け、

「浮気するなよ」

「えっ！　わたしそんなことしない……っていうか！　だからわたしはあなたの――」

「――行ってくる」

　無視して去った。ちょっと、最後まで聞いて!?

「……あのマイペースっぷり、疲れるでしょ？」

　いきなり、キャシーママがつぶやいた。

「えっ」

「いいのよ。かわいい我が子ながら、ときどきアーサーのミニ版みたいに思えて疲れることがあるもの。でもね、ジーン。もしもあなたにほかに好きな子がいるなら、本当に気をつけて。気づいたら根気負けして好きになっちゃって、わたしみたいに妻の座におさまるはめになるんだから」

　熱弁された。き、肝に銘じておきます……！

 

 

★　★　★

 

 

　ヘンリーもヘンリーパパも不在で、キャシーママとミートパイを一緒に作って夕食を食べ、レンタルショップでロマンチックな古い映画を借り、アイスを食べながら鑑賞した。

　夜もすっかり更けてシャワーを浴び、キャシーママのほっぺにキスをして部屋に行く。

　ＴＤ開発のモバイルにヘンリーとパティからそれぞれメッセージが届いていて、返信をした。

　なんと、パティは来週、ＴＤと映画に行くらしい！

　これはデートか否かでひとしきり盛り上がって、結局デートってことで落ち着いた。オシャレをすべきだというわたしの意見を受け入れてくれたパティと、デート前のお買い物ツアーの約束をしてメッセージを終えた。

　ヘンリーはやる気に満ちすぎている部員に手を焼いているらしい。真相に近づきそうもないので安心しているようだけれど、明朝までは見張るつもりのようだ。

　浮気するなよというメッセージがまたきたので、そんなことはしないし、そもそもわたしはあなたとはただの幼なじみで友達でしょうと、何度目かの無駄な説得をこころみる。案の定無視されて返信はなく、わたしはがっくりとうなだれた。

「……このマイペースさだけは、ほんと尊敬する……！」

　まわりに振り回されがちなわたしには、必要な要素かもしれない……。とにかく、ヘンリーは好きだけど、そういう好きじゃないんだ。

 

　だって、わたしが好きなのは――。

 

「――って、その相手からのメッセージはなかったりして」

　ジェイからのメッセージは皆無。時間も時間だから、きっとアップタウンの邸宅に戻ってゆっくり休んでいるんだろう。やっぱり、完全に体力が戻ったわけじゃないのかもしれない。

　でも、メッセージしておこうかな。いや、明日にしよう。そのほうがやりとりできるかもしれないから。

「……わたしももう寝よ」

　さすがに大きなあくびがでた。カセットテープでなにか聴きながら眠りたくて、お泊りセットのバッグをまさぐる。携帯音楽プレーヤーとヘッドフォンを引っ張り出そうとしたとき、

「……あれ？」

　見覚えのないカセットテープが入っていた。

　ケースにもなにも書かれていない。妙だなと思いながら、プレーヤーにセットする。ヘッドフォンをつけてスタートボタンを押し、びっくりした。

『……これでいいのかな。聞こえてる？』

　え、うそ。ジェイの声だ！

『えーと、いまは例のパーティに行く前で、みんなもきみも忙しそうだ。そのすきに、こっそりこれを撮ってる。あ、ぼくはジェイだよ』

　わかってる。わたしはクスクス笑った。いつの間にこんなことしてたんだろ。

『きみがこれを聞いてるってことは、全部がうまくいったってことだと思う。こっそりきみのバッグに入れてごめん。もしもこのテープに気づいたら、午前零時に外を見てみてくれるかな』

「えっ？」

　慌てて時計を見る。午前零時を五分過ぎていた。半信半疑でカーテンを開ける。見えるのはアパートメントハウスがずらりと並んだ通りだ……って、いや、違った。

　黒いパーカーにデニム姿のジェイが、通りに立ってこちらを見上げていた。

　え、あれ？　どうやってここまで来たんだろ。びっくりしつつ、いつかパティに会いにいったときみたいに、窓枠に手をかけて外に出た。

　一階の張出し窓に足をかけ、窓を閉める。寝静まった周囲をうかがいながら、窓枠にぶら下がってから地面に着地する。そして、通りにいるジェイに近づいた。

「ど、どど、どうしたの」

「メッセージを送ろうと思ったんだけど、会って話したくなったから」

「ど、どうやって来たの？　車？」

　ジェイは苦笑いしながら、両手を組んで見せた。スーパーヒーロー的コスチュームに身を包んで、宇宙人的なパワーで来ちゃったみたいだ。

「だ、誰かに見られなかった？」

「大丈夫。人目につかないところでこの姿になって走ってきたから」

「テープ、びっくりしたけど嬉しかった。ありがとう！　でも、わたしが気づかなかったらどうするつもりだったの？」

「ストーカーみたいにここで夜を明かしたかな」

「ええ？　じゃあ、カセットを聞いてってメッセージをくれたらよかったのに」

「そうなんだけど、きみが気づくか待つのも楽しい気がしてさ」

「そんなの不便だよ？」

　わたしが言うと、ジェイはさも楽しそうに笑った。

「たしかに、伝わったり伝わらなかったり、待たなくちゃいけなかったりするのって不便だよね。けど、そういうことをなんて言うか知ってるかって、この前デイビッドに訊かれたんだ」

「不便なこと？　なんて言うの？」

　ジェイが言った。

「――ロマンチック、だって」

　ああ……そういえばデイビッドおじさんって、わたしのママに恋する前はすんごいプレイボーイだったんだった。さすが、モテモテ紳士の言葉は違う！

「もともとあれは、きみにぼくのことを話すタイミングのために撮ったんだ。でも、きみにはもう話してしまったから迷ったんだけど、びっくりするきみが見たくなって」

「じゃあ、成功だね。めちゃくちゃ驚いたもの」

　クスクスとジェイが笑う。そして、わたしを見つめた。

「ずっと考えてたんだ」

「なにを？」

　自分の刺客があらわれるかはわからない。この惑星にいるとわかっていたとしても、すぐに来られるわけじゃない。もしかしたら、ずっとあらわれないかもしれない。けれど――。

「――この先になにが起きるとしても、きみや、きみたちのいるかぎり、ぼくもこの星の住人だ。この星にしがみつくよ」

　わたしは微笑む。なぜかわからないけれど、ちょっと涙がでた。そんなわたしの額に、ジェイはそっと、ロマンチックなキスを落としてくれる。

「じゃあ、もう行くよ。きみに会えてよかった」

　人生で？　それとも、今夜？　どちらともとれる言葉を告げ、ジェイは微笑んだ。

「また明日。サイキックガール」

　瞬時にコスチューム姿になって、まばたきをした刹那、ジェイはその場から消えていた。

 

　――そうだね。明日がある。また明日。

 

　わたしはきびすを返す。とりあえず、ママとパパが戻ってくる。それから、パティとのお買物ツアーもある。ヘンリーへの説得も続けなくちゃいけないし、ジェイとはもっと仲良しになりたい。ＴＤは……まあ、いっか。

　夜空を見上げる。摩天楼に照らされた明るい空を、黒くまたたくなにかが横切る。

 

　なにがあったって、なにが起きたって大丈夫。

　わたしは一人じゃないし、あなたも一人じゃない。

　わたしたちは、一人じゃないから。

 

　謎めいた王子さまが素敵な夢を見られるよう、わたしは願って部屋に戻った。

 

第一部　FIN.

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