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弐ノ章

詐欺師、泥棒、殺し屋の過去

其ノ6

 雨市は長い間ぐるぐると、トンネルを慣れた様子で歩き続けた。
 右へ曲がって、左へ曲がり、また右へ。
 わたしは雨市の着物の袖をつかんだまま、うしろにくっついて行くことしかできない。このまま永遠にどこにも出られないんじゃないかと、不安を覚えそうになった矢先、いきなり雨市は立ち止まった。
 それまでうつむいて歩いていたから、びっくりして顔を上げると、目の前には重厚な木製のドアがあった。
 まさかこれ、出口?……って言うよりも、普通の家のドア、みたいなんだけど?
 雨市がドアノブに手をかける。きしんだ音をたてて、ドアが開く。その先の光景が視界に飛び込んできて、目を丸くしてしまった。
 そこは、たんなる家、だった。
 まっすぐにのびる板床の廊下があって、天井には裸電球がぶら下がっている。
 前方のつきあたりには玄関らしき引き戸があり、わたしから見て廊下の右側には、ステンドグラスの窓が輝くドアが二つ、並んでいた。
 薄暗い廊下に色とりどりの光が射し込み、床に虹色の影を落としている。
「……え。え、え?」
 ココはどこですか。
 雨市の袖から手を離しつつ、背後を振り返る。そこはもちろん、闇に包まれたトンネルだ。
 なにこの、イリュージョン。
「早く入れ」
 雨市が言う。困惑しながら足を踏み入れると、ドアを閉めた雨市は廊下を歩いて行く。
 わたしはもう一度、ドアノブに手をかけて開けようとした。だけど押しても引いても、まったく開かない。
「おい、なにしてやがる。早く来い」
 廊下の真ん中で、雨市は立ち止まった。
 うーん……ここはどこからどう見ても、ただの家だ。情緒あふれる内装的には、明治か大正か昭和初期に建てられたっぽい感じ。
 だけどわたしがいるのは、〝地獄の入り口〟のはず。なのに、このちゃんと生活してます感は、いったいどういうこと? なんなのだ?
 なによりも、雨市は死人だ。ということは、食べたり、飲んだり、トイレに行ったりするの? しないの?
「なにしてんだ?」
 頭の中が疑問でパンクしそうだ。あまりにも微動だにしないわたしを見て、帽子を脱いだ雨市は眉根を寄せた。そのとき、玄関の引き戸が開いた。
 姿を見せたのは、姿勢正しく品のいい白髪紳士だった。
 年齢は、六十代くらい。真っ白な白髪は丁寧にカットされていて、英国紳士のごとくきっちりとした七三分け。
 焦げ茶色の三つ揃えのスーツで、パリッとしたシャツにネクタイをしめる姿は、海外ドラマで見る執事のようだ。
 雨市とわたしを交互に見た紳士は、ビクッと玄関で身体をこわばらせた。
「……雨市さん、お帰りでしたか。ずいぶん遅いので、心配しておりました」
「ああ、ハシさん。すまなかったな、ちっとへたうっちまった」
 雨市がそう言うと、ハシさんはゆっくりとわたしを指した。
「……あのう、少々お訊ねしてもよろしいですかな? あそこの破天荒な洋装をした、たいそうかわいらしいお嬢さんは、わたくしの幻でしょうか。それとも……実際に存在しておられる?」
 雨市は小さく嘆息すると、肩を落としてハシさんに答えた。
「いや、残念ながら存在しておられる。来い、むす……ツバキ」
 おお、はじめて名前で呼ばれた……なんて、喜べる余裕なんかない。
 で、ココはどこなわけ? その執事みたいな紳士は雨市の家族? それとも親戚? なによりも、ココは地獄の入り口じゃないの? 
 まったく、わけがわからない!
「……実は、娑婆でこいつを拾っちまった。まだ生きてる娘だ」
「なんと!?」
「名前は椿だ。なんとか帰したいが、方法がわからねえ。穴蔵で獄卒どもに追いかけられて、梵字使って通路開いちまった。俺はこれから役所に行って、その件で嘘こいて煙に巻いて来る。面倒かけてすまないが、ハシさん、こいつにてきとうな着物を、見繕ってきてもらえるか? いまの格好じゃ目立ち過ぎだ」
 昔はたいそうハンサムだったであろうハシさんは、知的そうな瞳を見開くと、わたしの足先から頭のてっぺんまで眺めて、困惑した。
「……承知いたしました……が、竹蔵さんのお着物はいかがですかな?」
 ダーメだ、と雨市は首を振る。
「背丈が違うぜ。それにこいつのツラは、俺みてえに派手だ。竹蔵の着物なんか着ちまったら、盆と正月を一緒に背負ったおめでたい娘になっちまう。なるたけ地味な着物がいい。洋装もダメだ。似合いすぎて野郎が群がる」
 納得したらしいハシさんは、大きくうなずいた。
「大柳おおやぎ一族の目にとまったら、一大事でございますな。さっそく古着屋で見繕ってまいりましょう。それから……あのう」
 眉を八の字にさせたハシさんは、哀しげな表情で内ポケットから財布を出した。
「さきほど午後の散歩に出かけてまいりましたところ、またもやわたくし、よろしくない手癖でおこなってしまった模様でございます。たいして入っておりません」
 ハシさんはいまにも泣きそうな顔つきで、雨市に財布を渡した。苦笑した雨市は、財布の中身をたしかめもせず、ハシさんに返す。
「あんたの手癖は、死んでもなおらねえんだなあ……。使わずにとっといて、金で困ってる奴にでもやっとけ。で、竹蔵はいるのか?」
 はあ、と憂いのあるため息をついたハシさんは、財布を内ポケットに押し込めてから、ドアを指した。
「ご在宅でございます」

♨ ♨ ♨

 

 ハシさんは古着屋に出掛けてしまった。
 見知らぬ紳士に面倒をかけてしまって、なんだかかなり申しわけない気持ちになる。
 とにかく状況説明がいっさいなされないので、いっそわけのわかんないまま乗っかってしまったほうが、いいんじゃないかと思えてきた。
 ……いや、それでいいのか? ダメだ、なにひとつ頭がまわらない。
 トンネルを延々と歩いて疲れたし、お腹も空いてきたしで、もうなんにも考えられないし、考えたくない眠りたい。
 廊下に突っ立ってそんなことを思っていると、雨市がステンドグラスのドアを引き開けた。
 この家には、二階もあるらしい。玄関を入ってすぐの場所に階段があって、上はどうなっているんだろうと見上げる。するとまたもや雨市に「早く来い」と命じられてしまった。
 一瞬イラッとしたものの、それにも疲れて肩を落とす。もうどうでもいい。どうでもいいから、いまはとにかく。
「……雨市……、さん」
 いちおう〝さん〟はつけとこう。
「あ? いきなりしなっとしやがって、気色わりいな。雨市でいい。なんだ?」
「あの……ですね。この状況で大変申しわけないんだけど、少々お腹が空いてきたっぽい感じと言いますか……。あと、眠たい感じもあると言いますか……」
「まあ、そうだろうな。ちょっと待っとけ。いまはご挨拶が先だ。あとあと面倒になるからな」
 裸足&あずき色のジャージによれよれのTシャツという、たしかに破天荒な恰好で、招かれるまま部屋に入る。
 そこは、ずいぶん広い洋風の居間だった。
 壁はミルク色、板床と窓枠、柱は墨色だ。こういうのを、モダンとかって言うのかも。
 テレビでしか見たことないけど、なんだかオシャレなカフェみたいだ。
 縦長の窓にはレースのカーテンが下がり、焦げ茶色のソファとテーブルが置かれている。そのテーブルの上にはなぜか、落書きされた半紙が散乱していて、床にも山ほど落ちている。
 雨市はそれらを拾いながら、床板が一段高くなっている室内の奥に向かった。
 大きな机があり、背後の窓は出窓になっている。その机に腰を押し付けて、煙管とかいうものをくわえながら、外を眺めている人物がいた。
 目の覚めるような朱色の着物に、紫色のストールを首に巻き、黒髪を色っぽく、かんざしでゆるく結い上げた大人女子だ。
 雨市よりも少しだけ背が高い。窓を向いているから顔は見えないけど、ずいぶん背の高い女子みたいだ。
 ココには女子もいるんだと知って、ちょっと安心する。同じ女子仲間として彼女ならきっと、わたしの数々の疑問にも優しく答えてくれるはずだ。……と、期待したい。
 それにしても、ハシさんといいこの大人女子といい、雨市の友達なんだろうか。それとも家族? いまだにまったく、なんにもわからない。
「竹蔵、どうだったんだ、長崎は?」
 雨市が訊いた。男子みたいな名前の女子は、雨市を振り返るでもなく煙を吐いた。
「……まったく楽しめなかったね。さっさとしなけりゃ蓋は閉まるし、そもそも丑三つどきの観光なんて、楽しめるわけがなかったんだよ。しかもアタシひとりでさ」
 ……ん? 声がずいぶん低い気がする……。
「で? そっちの筆はどうだったんだ」
「ニセだよ……ったく」
 そう言って、竹蔵なる女子は煙管をくわえ、こちらを向いた。直後、わたしを見るやいなや真っ赤な唇をあんぐりと開ける。
 そしてわたしも、あごがはずれるほど口を開けるはめになった。
 絶世の美女だ。しゅっとした細面の輪郭、長いまつげ。きりりとした奥二重の瞳は濡れたように輝いていて、肌は真っ白で雪みたいだ。
 だがしかし、わたしにはわかってしまった。
 竹蔵は、女子じゃない。名前に違和感のない、男子だ!
 竹蔵がわたしに近づいて来た。なんて派手な着物だろう。裾には濃紺の大輪の花が咲き、あちこちがきらきらとラメみたいに光ってる。これはラメじゃなくて、金かな?
 あまりの派手さに目がチカチカする。まばたきしていると、目前に竹蔵が立った。と、煙管でわたしのあごをつんと上げる。
「……へえ、いいツラしてるじゃないか。あんた、遊郭に高値で売れるよ。アタシが通ってやるから、どうだい?」
 どうだい? いや、どうもこうもない。もうさ、なにをしゃべってるのか、わたしにはまったくわからないんですよ!
 空腹の腹立ちまぎれに煙管を払いのけると、雨市が間に割って入った。
「へたうっちまったんだ、竹蔵。こいつは椿だ、娑婆に戻してえ。だから、手出すなよ」
「だろうさ、すぐにわかったよ。うっすら娑婆の匂いがしてる。あんた、雨市にくっついて来ちまったんだね、かわいそうに……ほら、おいで」
 煙管を帯に突っ込むと、竹蔵が両腕を広げた。優しげな笑みのせいか妙な色っぽさが増して、さすがのわたしもぽうっとなる。
 よろよろと近づきそうになったら、雨市にTシャツの裾を引っ張られた。
「おい、騙されるな。こいつはこんなナリしてるが、女に目がねえんだ。俺も人のことは言えねえが、気をつけろよ」
「えっ、そうなの!?」
 竹蔵を見た雨市はにやっとしながら、わたしをあごでしゃくった。
「この娘はすげーぞ。おまえのツラが殴られて、無様にひん曲がるから手を出すな」
 ふうんと竹蔵は、瞳をきらめかせる。
 いよいよ空腹と眠気で倒れそうになってきて、足下がぐらついてきた。けど、ここで倒れてなるものかと、必死に床を踏みしめる。
 そうしながら、淡い期待を抱く。倒れるみたいにして眠ったら、起きたときに〝やっぱ夢だった!〟ってなるかもしれない。
 そう信じたい。いや、そうであって欲しい! 切実に!! と思った刹那、激しいめまいと睡魔が襲ってきた。
 あっ、と思う間もなく後ろに倒れて、わたしは意識を失ったのだった。

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