月曜日が待ち遠しい
自分が冴えないやつ、ってことは、よくわかっている。
子どものころから、自分の顔をまともに見たこともないから、外見を気にしたこともない。眼鏡をかけている姿は笑えるほどだし、かといって眼鏡をはずせば、ぼくの視界はぼやけまくりだ。だから、鏡に映っている自分の姿を、きちんと見られたためしがない。
パンサーのマスクには、ダイヤグラム・チャイルド特製の、特殊なサングラスが装着されていて、暗がりでも周囲をはっきりと見ることができる。だけど、パンサーの恰好で、鏡に見入るだなんて、なんだか滑稽で、避けている。たしかに、バスルームで着替えれば、視界にその姿が、否応なしに飛び込んでしまうけれど、マスク越しの自分の顔しか見えないので、どちらにしても、ぼくは自分の姿をまともに目にしたことがないのだ。
ぼくは時々、眼鏡をはずして、ぼやけた世界を楽しむ。輪郭がくっきりとした世界は、あまりにも現実的で、まともで、ときどきぼくを苦しめるからだ。ぼくの存在は少しばかり、いやかなり、現実からはかけ離れている。だから、いいにくいことを伝える時や、目にしたくない光景をまのあたりにする、と予感した時にははずす。すると、心が軽くなって、嘘もうまくつけるのだ。
★ ★ ★
ハイスクールへ入学して、女の子の友達がひとりできた。ニコル・ジェローム。移動教室でたまに一緒になる女の子だ。それまでは、友達なんていらないと思っていたけれど、いったんおしゃべりする相手ができてしまうと、少しだけ世界が楽しく感じられてくる。彼女は毎朝汗だくになって、自転車を飛ばして校門へ入って来る。週末ごとに、ピエロになったり、着ぐるみ姿になったりして、家族の仕事を手伝っているらしい。ぼくはその話を聞くのが楽しいので、それまでは最悪な気分だった月曜の朝が、近頃は待ち遠しく思えるようになった。
ニコルには、とてもきれいな女の子の友達がいる。キャサリン・ワイズは、学校一、目立ってきれいな女の子だ。ぼくは彼女のような女の子と接したことがないので、緊張してなにもしゃべれなくなってしまう。そのことをニコルは勘違いしていて、ぼくが彼女を好きなのだと、思い込んでいるような言動をとる。否定するのも、キャシーに対して失礼な気がして、たしかにきれいだと思っているのは認めるので、ぼくはニコルの必死なおしゃべりを、意地悪かもしれないけれどそのままにさせて、ちょっとだけ楽しんでいる。
すべての男の子が、きれいな女の子を好きなわけじゃない。たしかに憧れるし、美しい絵画を眺めているような気分になれるから、視線で追ってしまうこともあるけれど、本当に一緒にいたいと思う女の子は、違ったりするはずだ。もちろん、ぼくらの年代の男の子は、やっぱり見た目に頼ってしまう。でも、ぼくにはそもそも、見た目に頼るほどの視力がない。いつも分厚いレンズ越しにしか、世界をたしかめることができずにいるから、見えない部分に頼らざるを得ない。ぼくにとって、素敵な女の子が誰なのか、まあたぶん、ニコルは一生気づかないんだろうな。
ニコルは男の子に人気がない、と自分でいう。それをべつに、気にしているふうでもなくぼくに話す。当然よ、といった感じだ。
なぜだかそういう時、ぼくは安心する。ニコルはこの学校を卒業するまで、男の子と付き合わず、ずっとぼくと仲良しでいてくれるかも、と考えて安堵する。彼女に恋人ができてしまったら、彼に夢中になって、ぼくとはあまり一緒にいてくれなくなるだろう。そんなふうに考えること自体が、ぼくにとってははじめてで、ときおりビクつく。
怖いのだ。
他人に興味を抱いたことなどないし、そのうえ、女の子の存在を気にしたこともない。いや、なにか自分の奥深く、深層心理みたいなところで、そうしてはいけない、という防御が働いていて、むしろ興味を抱かないようにしていた、といったほうが正しいかもしれない。
ぼくは人知れず、夜の間だけ、自分の能力を存分に発揮する、クレセント・シティのスーパーヒーローになる。生まれもった自分のそれが謎で、さまざまな本を読んでいるけれど、まだ答えは出ない。バカげているけれど、宇宙人かも、と思うことさえある。もしくは、魔界から間違ってこの世界に生まれおちた、モンスター。このことを、ニコルに知られたくないと思う反面、知ってほしい、とも考える。彼女ならきっと、それでもぼくと友達でいてくれるはず。これはささやかな願望だ。自分になにかよくないことが起きた時、誰にも知られずに存在が消えてしまうことを、おそろしい、と感じることがある。せめて誰かに、知っておいてほしい。その相手がぼくにとって、大切な友達だったら最高だ。
普段のパンサーの役を引き受けているデイビッドに、このことを伝えた時、はじめは拒否された。組織以外の誰かに知られるのはよくない、という彼の意見はもっともだし、ぼくは納得したけれど、デイビッドなりにニコルのことを、学校で観察していたようだ。ある時、彼がぼくにいった。
「……キャサリン・ワイズにくっついている女の子だったんだ。毎朝おれたちの間に割って入ってくる、邪魔くさい子がいるなあと思ってはいたけれど。覚えられない顔をしているけど、性格は悪くなさそうだし、こっちもきみには無理させていることもあるからね。いいよ、べつに。きみの緊急ラインとして、一名追加、カルロスに伝えておくよ」
ぼくは嬉しかった。ニコルがぼくの緊急ラインだ。それから、デイビッドが彼女に、まるきり興味をもっていないということも。ニコルの良さをわかっている男の子は、ぼくだけ、という証拠だ。
こういった感情に名前をつけるのは難しい。もしかすれば恋愛感情、というやつかもしれない。だけど、ぼくはいまのままで満足だ。彼女はずっとぼくの友達で、少なくとも、学校を卒業するまでは、彼女の一番身近にいる男の子は、ぼくだけだろう。
でも、とも思う。
学校を卒業したら? そのあとニコルはどこへ行くのだろう。ずっとこの街にいるのだろうか。それとも、シティを出てしまう?
ぼくにはわかるのだ。ニコルが大人になったら、きっと素敵な女性になる。いまみたいに、まだ半分子どもみたいなぼくらだって、年を経れば、見た目ではなくて、経験や、知識を総動員し、恋人を選ぶようになる。そうなったらニコルは、もっとずっと遠くへいってしまう予感がある。
永遠にスーパーヒーローでいられるわけじゃない。ぼくにもいつか、ミスター・マエストロのように、ヒーローを廃業する時がくるだろう。その時、ぼくはまたひとりになる。ひとりでいられることに、耐えられるか、友達ができてしまった今、正直なところ、よくわからない。
ぼくが照れずに、しゃべれる女の子はニコルだけだ。それは心を許しているからで、ぼくの一番身近にいるからだと、やっぱり彼女は永遠に、気づかないのだろうと思う。
ぼくはこの複雑な気持ちを、うまく表現できない。だから、彼女に伝えるつもりもない。伝えたところで、どうにかなるわけもないだろう。ぼくはモンスターで、普段ですら、能力を制御するのに必死だ。うっかりすれば、カップを割ってしまうし、列車なみの早さで走ってしまう。軽くジャンプしただけで、校舎の屋根に着地してしまうおそれもある。自分が何者なのかもわからないやつが、友達以上の関係を望むなんて、拒否されるのがおちだ。
★ ★ ★
一度だけ、ぼくはニコルに訊いたことがある。どうしてぼくに話しかけたのか。ニコルは笑って、似たような友達がいたからだといった。それ以上は話さなかったけれど、毎晩月を見て、ミスター・マエストロのように、空を飛んだらどんなだろうと、しゃべりあう友達だったらしい。
「飛んでみたい?」とぼく。彼女は肩をすくめて、
「うーん、それは夢かな。まあ、いつか飛行機に乗れるかもしれないけど。でも、気分的に、きっと違うのかなって。だからって、デイビッドに抱えられて飛ぶつもりもないし、彼がわたしを抱えて飛ぶ、なんてことも、想像するだけで吐きそうだけど」
ぼくは笑った。
本当のパンサーはぼくだと、彼女は知らない。だけど、いつか彼女に、夜の摩天楼を見せてあげたい。ぼくにはとっておきの場所があって、いつもそこから、シティを見下ろしている。その時だけは、マスクを取って、ぼやけた視界で眼下を眺める。運がよければ雲に月が隠れて、星が夜空にあらわれる。すると三百六十度、視界は満点の星空にうめつくされる。
ぼくらの未来は、誰にもわからない。でも、少なくともいまは、いい友達でいられる。このままでいられたらと願いながら、ぼくは今夜もパンサーになる。ほら、サウスリバーのあたりで、悪さを働いてる二人組を見つけた。
猛スピードで飛び去ったアパートの窓に、顔をくっつけてぽかんと口を開けているぼくの友達は、たぶん明日も自転車を走らせて学校へやって来る。
ぼくにはそれが、待ち遠しい。
<<もどる